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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三063

下つ巻 第21帖 (063)

 ゝ ばかりでもならぬ、 ○ ばかりでもならぬ。 がまことの神()の元の国の姿ぞ。元の神()の国の臣民は でありたが、 ゝ が神()の国に残り ○ が外国で栄へて、どちらも片輪となったのぞ。 ゝ もかたわ ○ もかたわ、 ゝ と ○ と合はせて まことの (かみ)の世に致すぞ。今の戦は ゝ と ○ との戦ぞ、神()の最後の仕組と申すのは ○ に ゝ 入れることぞ。 ○ も五ざ ゝ も五ぞ、どちらも、このままでは立ちて行かんのざ。一厘の仕組とは ○ に神()の国の ゝ を入れることぞ、よく心にたたみておいて呉れよ。神()は十柱五十九柱のからだ待ちてゐるぞ。五十と九柱のミタマの神々()様お待ちかねであるから、早うまゐりて呉れよ。今度の御役大層であるが、末代残る結構な御役であるぞ。七月の二十四日、一二のか三。
平易意訳

 ゝ(本質・中心)ばかりでもなりません、 ○(現れ・表面)ばかりでもなりません。
  がまことの太陽達の元の国の姿です。
 元の太陽(ミロク)の国の臣民は でありましたが、 本質(ゝ)が太陽達の国に残り 現れ(○) が外国で栄えて、どちらも片輪車の様になったのです。
 本質(ゝ)も片方の車輪、 現れ(○)も片方の車輪、 ゝ と ○と合はせて まことの (かみ)の世に致しますよ。
 今の戦は ゝ と ○ との戦です、太陽(ミロク)の最後の仕組というのは ○に ゝを入れることです。
 ○ も五です ゝ も五です。どちらも、このままでは立ちて行かれないのです。
 一厘の仕組とは 現れ・空・アク(○) に太陽達の国の中心(ゝ)を入れることです、よく心にたたんでおいてください。
 神ミロクの仕組は十柱五十九柱のからだを待っているのです。
 五十と九柱のミタマの臣民を導く神々様がお待ちかねですから、早く参って(来て)ください。
 今度の御役は大層なことですが、末代残る結構な御役なのです。
 七月の二十四日、一二のか三。



解説と補足説明

  • yuru63:2013/10/20
     中心(ゝ)が神の道に通づるものであればそれにふさわしい現れ(○)が出来てくるといいます。
     よってどちらも重要であり、片方のみを説くことはできない。
     物事を「」の姿にするということを続けて行っていくことになりますが、
     ここでは「最後の仕組というものが○にゝを入れること」(○が先にあり後にゝを入れる)
     と説明していますので、
     「空く・アク(○)」の働きに「神の中心(ゝ)」」を入れることで、
     「(神の姿・ミロクの仕組の姿)」にするという、
     相手の力を利用して投げを完成させるという合気道の様な手法 を採っていることが見えてきます。


年月日

昭和十九年七月二十四日
 旧六月五日(1944年)

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