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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三066

下つ巻 第24帖 (066)

 一が十にと申してありたが、一が百に、一が千に、一が万になるとき いよいよ近づいたぞ。秋立ちたらスクリと厳しきことになるから、神()の申すこと一分一厘ちがはんぞ。改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、草の葉一枚でも神()のものぞ。七月の三十日、ひつくのか三。
平易意訳

 太陽(ミロク)の光が十の仕組になると云ってありましたが、太陽(ミロク)の光(日・ヒ・一)が救済【百(モモ)】になり、一が千になり、一(ヒ)・日・太陽(ミロク)の光が全て【よろず(万)】になる(行き渡る)ときが いよいよ近づきました。
 終末に近づいたらスクリプト(台本・地球劇場)は厳しいことになりますから、太陽(ミロク)の云っていること一分一厘ちがいませんよ。
 改心というのは、何もかも神にお返しすることです。臣民の所有物というものは本来は何一つもないでしょう。草の葉一枚でも のものです。
 七月の三十日、ひつくのか三。


解説と補足説明

  • yuru63:2013/11/05
     「終末に近づいたらスクリプト(台本・地球劇場)は厳しいことになります」は、現代において解読できるように工夫したものの様です。
     このように時が経つことによって検証ができるものは多く存在しているのではと推測しています。


年月日

昭和十九年七月三十日
 旧六月十一日(1944年)

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