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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三076

下つ巻 第34帖 (076)

 臣民はすぐにも戦すみてよき世が来る様に思うてゐるが、なかなかさうはならんぞ、臣民に神()うつりてせねばならんのざから、まことの世の元からの臣民 幾人もないぞ、みな曇りてゐるから、これでは悪の神ばかりかかりて、だんだん悪の世になるばかりぞ、それで戦すむと思うてゐるのか、自分の心よく見てござれ、よく分るであろがな、戦すんでもすぐによき世とはならんぞ、それからが大切ぞ、胸突き八丁はそれからぞ、富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろがな、戦は雲のかかってゐるところぞ、頂上(いただき)までの正味のところはそれからぞ。一、二、三年が正念場ぞ。三四五(みよいづ)の仕組と申してあろがな。八月の三日、ひつくのか三。
平易意訳

 臣民はすぐにも戦が済んで、澄んだよき世が来る様に思っていますが、なかなかそうはなりません。臣民に太陽の仕組の神がうつって(元神に通じて)行わねばならないのですから、まことの世の元からの(ゝの道を進む)臣民 幾人もありません。みな曇っていますから、これでは悪の神ばかり かかって、だんだん悪の世になるばかりです。それで戦がすむと思っているのですか。自分の心をよく見てごらんなさい。よく分るでしょう。戦がすんでもすぐによき世とはなりません。それからが大切です。胸突き八丁はそれからです。富士に登るのにも、雲の上からが苦しいでしょう。戦のときというのは富士山の登山に例えれば 雲のかかっているところにいるのです。頂上(いただき)までの正味のところはそれからです。
 一、二、三年が正念場です。
 三四五(みよいづ・御世出づ)の仕組と申しているでしょう。
 八月の三日、ひつくのか三。


解説と補足説明

  • yuru63:2013/12/25
     三四五(みよいづ・御世出づ)を解析すると、
     天界では岩戸が開いたと云っているので、お日様が照る明るい世であると考えられる。お日様のことを神示では「みどり」と云ってミロク神のことを指している場合が多くあります。
     天界において太陽(ミロク)の世があれば地上世界にも出現することが可能となります。この原理により御世が出現する、つまりミロク神の霊を持つ存在がただ一人現れ、その光が臣民へと伝わり、この地上世界に太陽(ミロク)の世が合わせ鏡の様に出現することを三四五(御世出づ)と表現している様です。

    ーーー
    出口王仁三郎聖師は終戦の西暦1945年に「みろく」様が降臨されたと残しておられます。
    ーーー
    このみろく様の意味は、その魂の半分は素戔嗚尊であり半分が日之出神の魂の存在です。
    ーーー
    この「みろく玉(緑色)」の魂を持った存在が世界に一人だけ出ると言うことなのです。
    ーーー

    というキーワードをみて、「ひふみ」の内容の理解が少し進んだように思います。

  • 一二三076 参考文献

     http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=273

    天の岩戸を閉める素戔嗚尊に天の岩戸を開ける日之出神

    2013.12.22 Sunday
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    by 上野公園


    前々回の記事に、大本教の出口王仁三郎聖師が救世主は「源日出雄」と名乗って蒙古に渡られた演技の意味を書きました。この「源日出雄」に源義経の型演技のみならず、日出雄で解る様に「日之出神」の意味も入っています。
    だが、大本教では正式に「日之出神」の立場を演じられたのは、大本教三代教主補であった【出口日出麿】さんでした。

    そもそも、この日之出神は何者かを知るのは非常にやっかいです。意味不明だからです。日之出と言う意味は太陽が東から上がって来る意味にしか過ぎないからです。
    大本教で宣伝した「日之出神」とは、大本教開祖出口なおさんの三女の「福島久」さんに懸かった霊示として、出口なおさんの息子であった清吉さん(台湾に出征して戦死)の魂が日本に帰還して「義理天上日之出神」となったです。その生まれ変わった肉体が「出口日出麿」さんであるという演技がなされたわけです。
    出口王仁三郎聖師は、それがありながらも、出口王仁三郎聖師自身が「日之出神」の意味も含めて、日出雄で源の義経との合体演技をされたわけです。すると、出口日出麿さんの日之出神役は、ニセ演技?だったのかとなります。

    蛇足ながら、日月神示(ひふみ)神示の岡本天明氏は、出口日出麿さんと同郷(倉敷市出身)であった関係で、出口日出麿さんの推挙で大本教機関誌の編集長になられた方なのです。日月神示(ひふみ)を読まれる方は、それ以前の大本教(いろは)を知らないとその流れは解りません。

    【日之出神】 ???

    伏見稲荷山に行きますと、長者社(御祭神は御劔大神)の付近のお塚には、多数の日之出神のお塚が存在します。これらの稲荷神の日之出神は大本教で言ったところの「日之出神」ではありません。単に稲荷信仰の方達が自分が信仰する稲荷神に対して太陽が昇る意味の「日之出」の神と命名しただけの話です。
    また、記紀神話などを読まれても「日之出神」は存在しないはずです。それは日之出神とは単に通称名だからです。正式の名前は「日之出神」ではありませんでした。

    大本教の出口王仁三郎聖師は、最初は御自身が「素戔嗚尊」の魂だと演技をされました。ところが、出口なお開祖に対して出口王仁三郎聖師は「みろくの神様」との神示出たことで、出口なお開祖もびっくりされたわけです。素戔嗚尊とみろく様では神界の格が違って来るからです。
    すると、素戔嗚尊が「みろく神」様かとなりますと、それは半分違うのです。それを知るには大本教神諭、明治31年旧12月26日の内容を知る必要があります。

    【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。誠の人を西と東に立別けて御用がさして在るぞよ。この事解りて来たなれば、三千世界が一度に開くぞよ。綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ】

    この中の「誠の人を西と東に立別けて御用がさして在るぞよ」にあるのです。

    私はこの西と東に立別けてあるという意味を大本教で演じられた出口なお開祖の綾部で厳霊で女と、出口王仁三郎聖師の亀岡で瑞霊で男の型であるとばかり思い込んでいました。それにしては亀岡と綾部で東西と言えるのだろうかと、疑問を持っていました。

    私も完全に意味を間違えて今日まで来ました。これは平成12年3月25日付けの私のブログ【火水(カミ)を知りて、天使の羽を卒業する「翡翠」】に出しました図にその答えはあったのです。
    数日前、あることを見させられて、鈍感の私もやっと意味が解りました。

    その時のブログの図を再掲します。



    出口王仁三郎聖師の演技は、上図の演技ではなくて、下記の図になります。



    出口王仁三郎聖師は、最初は素戔嗚尊の瑞霊で「西」の演技をされたわけです。そして上記の「みろく大神」の型も演じられようとされたわけです。そして蒙古に渡る時に「日之出」神の役も演じようとなされたわけです。だが、出口王仁三郎聖師は素戔嗚尊魂であっても日之出魂は備わっていなかったのです。為に、出口日出麿さんが「日之出」神の役を演じられたのです。
    すると、出口王仁三郎聖師は本当の「みろく」様では無かったことになります。出口王仁三郎聖師は終戦の西暦1945年に「みろく」様が降臨されたと残しておられます。自分は本当の「みろく」ではないと言われたわけです。

    このみろく様の意味は、その魂の半分は素戔嗚尊であり半分が日之出神の魂の存在です。

    何故、東が日之出神かは日之出の意味で解るでしょう。西は太陽が沈む位置。大本教神典に天の岩戸を閉める役に開ける役が出て来ます。日本神話においては、天の岩戸を閉めさせたのは素戔嗚尊。この地球の扉を閉める役です。そして、新生地球でみろくの世の扉を開けるのは日之出神(真性天照大御神)の意味なのです。

    出口王仁三郎聖師は、何故にこの演技をされようとしたのでしょうか?。

    この「みろく玉(緑色)」の魂を持った存在が世界に一人だけ出ると言うことなのです。出口王仁三郎聖師はその存在を霊界物語の中で予告されています。但し、その時はそれも自分だとの演技をされています。その名前は「玉照彦」として出ています。主の末の御子のことです。聖書で予告される御子のことです。私はそんな緑色の光を放っている魂の持ち主など存在していないと思っていました。
    巷には自分が「みろく」ですと名乗っている方は多々在るでしょう。その方が本当にみろくの玉の持ち主なのかどうかは、その方の魂が緑色の光を放っているかどうかで解ることなのです。

    この緑色の光を放っているかどうかはその肉体を見ても解りません。その魂を見れば解るのです。無論、それは天帝御自身たる存在ではなくて、天帝の完全な分けミタマを貰っている肉体の意味です。その魂の半分が瑞霊で半分が厳霊となっているのです。中性ではなくて肉体は男性なのです。

    どうやらトドメに来たようなので、おまえ(私)の解読は未だ未熟だ。もうさほど時間が無いとその答えが解ける形で降りて来たようです。

    私もこの「日之出神」だけは、意味を掴むのに一苦労しました。今の世では素戔嗚尊であり、次の新しいみろくの世では「日之出神(真性天照太御神)」となる。出口王仁三郎聖師の演技がなければ、とても紐解けるような代物ではありませんでした。
    私が子供の頃に臨まれた声は言われました。日本神話の天の岩戸開けなどの事実はどこにも存在していない。あの神話は、この私が後世の仕組みの為に創作させたものであり予告の為である。そなたは、その意味を紐解きなさいと告げられていたのですが遅くなりました。

    私は大本教神典の天の岩戸を開ける役に閉める役。てっきり男子と女子の二人が要るのだとばかり思っていました。まさか変性女子と男子の意味とは、こればかりはお釈迦様でも気がつかないでしょう。過去にそうした男子と女子と書いていれば、私の間違いでした。

    みのおわりの女子と呼ばれる存在は複数出ますが、こちらは「宝のお塚」の役です。で、龍宮の乙姫役とも呼ぶのです。
    素戔嗚尊の娘とされる存在の女神は弁天様でも解る様にどなたも瑞霊であり、龍宮の乙姫役ともなります。また豊雲野尊系、伊弉冉尊系、豊受姫系などのミタマも瑞霊魂で然りなのです。

    私はあまりにも数多い女子の舞台を見させられて、意味がよく掴めておりませんでした。単に瑞霊として見なければ行けなかったのです。

    意味を紐解くのに三十数年もかかってしまいました。豊受様から貴方に教えが出来る神など居ないと告げられて、確かにこんな仕組みならば誰にも解らないはずです。


    全ては創造神の神芝居!

    大本教神芝居、終幕に終幕にと進んでいます。


年月日

昭和十九年八月三日
 旧六月十五日(1944年)

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