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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三088

富士の巻 第08帖 (088)

 山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、雨も神、風も神ぞ、天地みな神ぞ、草木も神ぞ、神祀れと申すのは神にまつらふことと申してあろが、神々まつり合はすことぞ、皆何もかも祭りあった姿が神の姿、神()の心ぞ。みなまつれば何も足らんことないぞ、余ることないぞ、これが神国の姿ぞ、物足らぬ物足らぬと臣民泣いてゐるが、足らぬのでないぞ、足らぬと思ふてゐるが、余ってゐるではないか、上(かみ)の役人どの、まづ神()祀れ、神()祀りて神()心となりて神()の政治せよ、戦など何でもなく鳧(けり)がつくぞ。八月十七日、 の一二のか三。
平易意訳

 山は神です。川は神です。海も神です。雨も神、風も神です。天地みな神です。草木も神です。太陽(ミロク)を祀れと申すのは太陽(ミロク)にまつらうことと申してあるでしょう。太陽達の活動をまつり合はすことです。皆何もかも祭りあった姿が神の姿、太陽(ミロク)の心です。
 みなまつれば何も足らないことはないのです。余ることはないのです。これが神国の姿です。物足らない物足らないと臣民泣いていますが、足らないのでないのです。足らないと思っているが、余っているではないですか、上(かみ)の役人どの。まずマコトを祀ってください。マコトの調和を祀ってマコトの心となって(真・実・理)の政治をしてください。戦など何でもなく鳧(けり)がつきます。
 八月十七日、 の一二のか三。


解説と補足説明

  • yuru63:2014/02/18
     の表記は様々に解釈できそうですが、調和した姿が理解しやすいようにこのイメージを用いていると思われます。
     どの様な状況にせよ、その状況に和せば調和となり、神の姿となり、足らぬことも余ることもなく、光る姿となるのでしょう。


年月日

昭和十九年八月十七日
 旧六月二十九日(1944年)

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