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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三089

富士の巻 第09帖 (089)

 神界は七つに分かれてゐるぞ、天つ国三つ、地(つち)の国三つ、その間に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界(ちうかい)の七つぞ、その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、その一つがまた七つずつに分れてゐるぞ。今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、今一苦労あると、くどう申してあることは、そこまで落ちることぞ、地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。この世は人間にまかしてゐるのざから、人間の心次第ぞ、しかし今の臣民のやうな腐った臣民ではないぞ、いつも神のかかりてゐる臣民ぞ、神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、腹の底にシックリと神(ゝ)鎮まってゐる臣民ぞ、それが人間の誠の姿ぞ。いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でゐて呉れよ、地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ、神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、神()と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。何事も洗濯第一。八月の十八日、 の一二
平易意訳

 神界は七つに分かれています。天つ国三つ、地(つち)の国三つ、その間に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界(ちうかい)の七つです。その一つ一つがまた七つに分かれているのです。その一つがまた七つずつに分れているのです。
 今の世は地獄の二段目です。まだ一段下があります。一度はそこまで下がるのです。今一苦労あると、くどく申してあることは、そこまで落ちることです。地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めない所ですから、悪魔の性を持つ人と神の性を持つ人ばかりの世になってしまうのです。
 この世は人間にまかせているのですから、人間の心次第です。しかし今の臣民のような腐った臣民では任されないのです。いつも神かかっている臣民です。神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、腹の底にシックリと宇宙真理と調和した無限の属性が鎮まっている臣民です。天心ともいいます。それが人間の誠の姿です。
 いよいよ地上人の世界は地獄の三段目に入りますから、その覚悟でいてください。地獄の三段目に入ることの表(おもて)は、その反転面ですから、一番の天国に通ずることです。神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのです。神と獣と分けると申してあるのはこのことです。
 何事も洗濯第一。
 八月の十八日、 の一二


解説と補足説明

  • yuru63:2014/02/23
     神界の天と地を表現すると、下図の様に通ずる様です。
     「地の三段目である地の下」は「天の上の世界」と対応するとすれば、「地の下の世」といえども、神人にとっては「天の上の世」と認識できるようになるので、神人であれば神となり活動するが、獣の性を持つ者は見られなさまをあらわにするという現象が出てくるのかもしれません。
    (図089・神界の表と裏)


年月日

昭和十九年八月十八日
 旧六月三十日(1944年)

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