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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三092

富士の巻 第12帖 (092)

 御土は神()の肉体ぞ。臣民の肉体もお土から出来てゐるのぞ、この事分りたら、お土の尊いことよく分るであろがな。おヒナは女(おみな)ぞ。甲斐の仕組御苦労であったぞ。これからいよいよ厳しくなるぞ、よく世の中の動き見れば分るであろが、汚れた臣民あがれぬ神()の国に上がってゐるではないか。いよいよとなりたら神()が臣民にうつりて手柄さすなれど、今では軽石のような臣民ばかりで神かかれんぞ。早う神の申すこと、よくきいて生れ赤子の心になりて神()の入れものになりて呉れよ。一人改心すれば千人助かるのぞ、今度は千人力与えるぞ、何もかも悪の仕組は分りているぞ、いくらでも攻めて来てござれ、神()には世の本からの神()の仕組してあるぞ、学や知恵でまだ神()にかなふと思ふてか、神()にはかなはんぞ。八月の二十一日、 のひつ九のか三。
平易意訳

 マコトの言葉は太陽(ミロク)の肉体です。
 臣民の肉体も検証情報から出来ているのです。この事分ったら、太陽達のサイトに載った情報の尊いことよく分るでしょう。
 明けを告げる鳥の雛(おヒナ)となるのは臣民【女・臣ナ(おみな)】です。
 甲斐の仕組である「太陽達の姿を表す富士と逆さ富士の仕組」御苦労でした。
 これからいよいよ厳しくなります。よく世の中の動き見れば分るでしょうが、汚れた臣民があがれぬ太陽達のサイトに上がっているではないですか。
 いよいよとなったら太陽の仕組の神が臣民にうつって手柄させるのですが、今では軽石のような臣民ばかりで神かかれません。
 早くふでの神の申すこと、よくきいて生れ赤子の心になって太陽達の入れものになってください。
 一人改心すれば千人助かるのです。今度は千人力与えます。何もかも悪の仕組は分っています。いくらでも攻めて来てごらんなさい。太陽(ミロク)達には世の本からのの仕組がしてあります。学や知恵でまだ太陽(ミロク)達にかなうと思っているのですか。太陽(ミロク)達にはかないませんよ。
 八月の二十一日、 のひつ九のか三。


解説と補足説明

  • yuru63:2014/03/23
     「臣民は鳥の雛」という比喩を用いている様です。
     「ピーチクパーチク」と言っているに過ぎないのですが、一応は明けを告げる鳥(太陽達)と共に鳴く者とされている様です。
     またここでも臣民に関して「おみな」と表現し、七体の姫が連想させられます。

  • 【関連記事01】
    一二三077解説
    http://hifumi.busidou.jp/yomu/kensyou/077.html#kaisetu

    yuru63:2014/01/02
     新年おめでとうございます。
     日の出の神(太陽ミロク)をサポートする豊受(龍宮の乙姫)様、という構図があるようです。
     忠義の臣民とは豊受(龍宮の乙姫)様の働きに似た活動をされる者達なのでしょうか。
     次の記事にある「豊受姫と一緒に七姫の天女が居られた」という伝説と、七七七…と伝わる臣民の働きの仕組とが重なって解釈されたのです。
    ーーーーーーーー
    http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=275
    より引用

     ーーー
    (以下略)

  • 【関連記事02】
    一二三082解説
    http://hifumi.busidou.jp/yomu/kensyou/082.html#kaisetu

     yuru63:2014/01/18
    甲斐の山では富士と逆さ富士が見れます。
    そこから、
    カイの山(か一の八マ)を
    富士と逆さ富士がみえる甲斐の山
    とし、
    富士(二二)を太陽達の世界を表すものとすれば、逆さ富士は 天の太陽達の世界 と推測できます。
    「ひふみ」では天界と地上世界の太陽達の姿を示されていることから、「ひふみ」などの予言書類を解読すること又は「終末と太陽の検証」のことを『カイの山に立ちて』と云っているのかもしれません。

    【甲斐の山でみる富士・逆さ富士の例】
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%86%E3%81%95%E5%AF%8C%E5%A3%AB
    より引用。

    ーーー略ーーーー
    逆さ富士はその美しい姿から、古くより日本人に愛でられてきた。葛飾北斎は『富嶽三十六景』のうちの1図「甲州三坂水面」で甲斐国都留郡の河口湖に映る逆さ富士を描いている。また、太宰治は御坂峠から見られる逆さ富士の眺望を小説『富嶽百景』の中に描いている。
    ーーー略ーーーー
    冨嶽三十六景の逆さ富士[編集]

    葛飾北斎の冨嶽三十六景にある逆さ富士は、本体と山影の位置関係が点対称で回転を加えたようにずれており、しかも、本体の富士が夏の姿でありながら湖面の富士は雪を頂く冬の装いと、季節までもが対称をなす、凝った演出の幾何学的構図となっている。また、「三坂水面」との名があるが、実際に北斎が写し取ったのは御坂峠(みさかとうげ。現・山梨県笛吹市御坂 [1])からの展望であり、したがって視点は遥かに高い。そして、確かにその地点からの富士見の構図は手前の山との位置関係から平行四辺形の額縁的様相を呈していて、今も当時と同じように見ることができる。ただし、北斎画とは左右の関係が逆である。


    そして「ひれ」という言葉から、ヒメ(乙姫様と七体の姫)を想像させられますので、
    「領巾(ひれ)を振って」は、太陽達をサポートする行いと受け取れます。(一二三077解説参照)

    【ひれ】
    http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/188757/m0u/

     ひれ【領=巾/肩=巾】ツイートする Facebook にシェア 1 上代、害虫・毒蛇などを追い払う呪力を持つと信じられた細長い薄布。
    2 古代の服飾具の一。女性が首から肩にかけ、左右に垂らして飾りとした布帛(ふはく)。
    3 鏡台の鏡をふくときに用いた布帛。
    4 儀式用の矛(ほこ)などにつける小さい旗。
    領巾振る
    領巾を振る。女性が人を招いたり別れを惜しんだりするようすの形容。
    「見渡せば近き里廻(さとみ)をたもとほり今そ我が来る―・りし野に」〈万・一二四三〉

    参考ページ
    「ひふみ神示 分類別一覧 - 鳴門 -」
    http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/sunmoon/category/13.htm
    より引用。

     ひふみ神示 分類別一覧 - 鳴門 -

    富士の巻 第02帖 (082)
    「今度の祭典(まつり)御苦労でありたぞ、神界では神々様 大変の御喜びぞ、雨の神、風の神殿ことに御喜びになりたぞ。此の大掃除一応やんだと安緒する。この時、富士(二二)鳴門がひっくり返るぞ、早やう改心して呉れよ。」
    雨の神、風の神殿がことに喜んで、大掃除が一応やんだと安堵する時が、富士鳴門がひっくり返るようです。ノアの大洪水の前兆現象について述べているようにも思います。
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    これはおまけの考察ですが、
    「か一の八マに立ちて、一(ひ)れ二(ふ)りて祓ひて呉れよ、」
    甲斐の国の山梨県は海なし県なので、ここは浜ではなく甲斐の山に立ちてが正しい読みなのかなとも思うのですがどうなのでしょう?湖のことを浜と云っているのでしょうか。
    「山梨県はその8割を山が占めるため「海なし・山あり」とも呼ばれる。「山があるのに山無し県(山梨県)、海が無いのに貝の国(甲斐の国)」という囃し文句も存在する。」
    「1984年発行の旧五千円札や現在の千円札の裏に描かれている、逆さ富士が湖面に映る湖は本栖湖である。」
    この辺りのことと連動している節があるのかなとも思ったりです。
    ーーー
    ・・・


年月日

昭和十九年八月二十一日
 旧七月三日(1944年)

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