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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三094

富士の巻 第14帖 (094)

 臣民にわかる様にいふなれば、身も心も神()のものざから、毎日毎日 神から頂いたものと思えばよいのであるぞ、それでその身体(からだ)をどんなにしたらよいかと云ふこと分かるであろうが、夜になれば眠ったときは神()にお返ししてゐるのざと思へ、それでよく分かるであろうが。身魂みがくと申すことは、神()の入れものとして神()からお預りしてゐる、神()の最も尊いとことしてお扱いすることぞ。八月二十三日、 の一二のか三。
平易意訳

 臣民にわかる様にいうなれば、身も心もこの世を運行する神のものですから、毎日毎日 神から頂いたものと思えばよいのです。それでその身体(からだ)をどんなにしたらよいかということ分かるでしょう。夜になれば眠ったときはにお返ししているのだと思いなさい。それでよく分かるでしょう。
 身魂みがくと申すことは、太陽達の仕組の入れものとして太陽(ミロク)達からお預りしている、マコトの神の最も尊いところとしてお扱いすることです。
 八月二十三日、 の一二のか三。


解説と補足説明

  • yuru63:2014/04/05
     身心を神のものとして尊いところとしてお扱いすることはすなわち神の運行の一部とし活動することになるので、マコトの神国を具現化するという力となります。
     一二三093を別の視点から説明すれば、全てが神の運行であれば、そのすべては神のものということになります。
     救援の仕組として、マコトの神の勢力が介入し地上世界に光を照らしているという状況がある様です。その光がなくては、闇世は晴れることなく、果ては破壊され絶滅せねばならないものとなりますので、マコトの神()から頂いたものと思うことは間違いのないことなのでしょう。


年月日

昭和十九年八月二十三日
 旧七月五日(1944年)

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