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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三099

富士の巻 第19帖 (099)

 神世のひみつと知らしてあるが、いよいよとなりたら地震かみなりばかりでないぞ、臣民アフンとして、これは何とした事ぞと、口あいたまま何うすることも出来んことになるのぞ、四ツン這ひになりて着る物もなく、獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ、獣は獣の性来いよいよ出すのぞ、火と水の災難が何んなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ、それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神()が拾ひ上げて弥勒(みろく)の世の臣民とするのぞ、どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな、高い所から水流れるやうに時に従ひて居れよ、いざといふときには神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。人間の戦や獣の喧嘩位では何も出来んぞ、くどう気附けておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。八月の二十六日、 のひつくのかみ(三)。
平易意訳

 神世のひみつと知らしてありますが、いよいよとなったら地震かみなりばかりではないのです。臣民はアフンとして、これは何とした事かと、口あいたまま何うすることも出来ないことになるのです。四ツン這いになって着る物もなく、獣となって、這い廻る人と、空飛ぶような人と、二つにハッキリ分かれて来ます。獣は獣の性来をいよいよ出すのです。「都市攻撃(火)」と「ノアの大洪水(水)」の災難が何んなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさねばならないことになったのです。
 一時は「ノアの大洪水」で天も地も一つにまぜまぜにするのですから、人は一人も生きては居れないのです。それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、良い宇宙人の神が拾い上げて弥勒(みろく)の世の臣民とするのです。どこへ逃げても逃げ所ないと申してあるでしょう。高い所から水流れるように時に従っていてください。いざというときには救援の仕組の神が知らして一時は天界(救助のUFO)へ釣り上げる臣民もあるのです。
 人間の戦や獣の喧嘩位では何も出来ません。くどく気附かせておきます。何よりも改心する(元の神心になる)ことが第一です。
 八月の二十六日、 のひつくのかみ。


解説と補足説明

  • yuru63:2014/05/22
     「空飛ぶような人」と書いてありますが、「軽快に働く姿」をこのように表現したのでしょうか。「這い廻る人」の対義語とも受け取れます。
     「改心が第一」とあるように、神心となることが生活していくうえで必要なことなのでしょう。


年月日

昭和十九年八月二十六日
 旧七月八日(1944年)

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