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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三100

富士の巻 第20帖 (100)

 今のうちに草木の根や葉を日に干して貯へておけよ、保持(うけもち)の神()様お怒りざから、九十四は五分位しか食べ物とれんから、その積りで用意して置いて呉れよ。神は気もない時から知らして置くから、この神示よく読んで居れよ。一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな、米ばかりでないぞ、何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ、臣民ばかりでないぞ、神々()様さへ今度は無くなる方あるぞ。臣民と云ふものは目の先ばかりより見えんから、呑気なものであるが、いざとなりての改心は間に合はんから、くどう気つけてあるのぞ。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神()にすがりて神()の申す通りにするより他には道ないぞ、それで神々()様を祀りて上の御方からも下々からも朝に夕に言霊がこの国に満つ世になりたら神の力現はすのぞ。江戸に先ず神()まつれと、くどう申してあることよく分かるであろがな。八月の二十七日、 のひつ九のか三。
平易意訳

 今のうちに草木の根や葉を日に干して貯えておきなさい。保持(うけもち)の神様お怒りですから、九十四は五分位しか食べ物とれませんから、その積りで用意して置いてください。
 神ミロクは気もない時から知らして置きますから、この神示(終末と太陽の検証)をよく読んでいてください。
 一握りの米に泣くことあると知らしてあるでしょう。なくなるのは米ばかりではありません、何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならないのです。臣民ばかりではないのです。神々様さえ今度は無くなる方あります。
 臣民というものは目の先ばかりしか見えませんから、呑気なものですが、いざとなっての改心では間に合いませんから、くどく気つかせてあるのです。
 この度の岩戸開きは日本ばかりではないのです、世界中はおろか三千世界の大洗濯と云ってあるでしょう。太陽(ミロク)達にすがって仕組の神達の申す通りにするより他には道はないのです。それで、太陽(ミロク)達という複数の神々様の情報を祀って上の御方からも下々からも朝に夕に言霊がこの国に満つる世になったら尊い力を現わすのです。
 文化社会(江戸)に先ず太陽(マコトの神の光・神ミロク)をまつりなさいと、くどく申してあることよく分かるでしょう。
 八月の二十七日、 のひつ九のか三。


解説と補足説明

  • yuru63:2014/06/10
    「九十四」は「94%の耕地」か「今年」という意味かもしくは、仕組の段階が「九、十 の世」のことでしょうか。
    いずれにせよ大洗濯が大詰めになってくると「五分位しか食べ物とれん」という現象が起こるようです。


年月日

昭和十九年八月二十七日
 旧七月九日(1944年)

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