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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三122

天つ巻 第15帖 (122)

 神()の国には神()の国のやり方あるぞ、支那には支那、オロシヤにはオロシヤ、それぞれにやり方がちがふのざぞ、教もそれぞれにちがってゐるのざぞ、元は一つであるなれど、神()の教が一等よいと申しても、そのままでは外国には通らんぞ、このことよく心にたたんでおいて、上に立つ役員どの気つけて呉れよ、猫に小判何にもならんぞ、神()の一度申したことは一分もちがはんぞ。八月七日、一二
平易意訳

 神の国日本には神の国のやり方があります。支那には支那、ロシヤにはロシヤ、それぞれにやり方がちがうのです。教もそれぞれにちがっているのです、元は一つでありますが。太陽(ミロク)の教が一番よいと申しても、そのままでは外国には通りません。このことよく心にたたんでおいて、上に立つ役員どの気をつけてください。猫に小判のやり方は何にもなりません。教えの元神(太陽達)の一度申したことは一分もちがいません。
 八月七日、一二


解説と補足説明

  • yuru63:2015/05/25
     たとえ良いやり方や教えを得て活用すべく行ったとしても、外国の文化の中では通らないという意味がありそうです。
     外国の人民に対して、どんな良い言葉を与えたとしてもその意味の十分の一も伝わらず猫に小判となる場合がある様ですので、注意しながら少しずつ分かりやすく長い目でコツコツ積み上げるといったやり方が妥当なのかもしれません。。


年月日

昭和十九年八月七日
 旧六月十九日(1944年)

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