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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三131

天つ巻 第24帖 (131)

 今の臣民めくら聾ばかりと申してあるが、その通りでないか、この世はおろか自分の身体のことさへ分りては居らんのざぞ、それでこの世をもちて行く積りか、分らんと申しても余りでないか。神()の申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出て来るぞ、神()は大難を小難にまつりかへてゐるのに分らんか、えらいむごいこと出来るのを小難にしてあること分らんか、ひどいこと出て来ること待ちてゐるのは邪(じゃ)のみたまぞ、そんなことでは神の臣民とは申されんぞ。臣民は、神()に、わるい事は小さくして呉れと毎日お願ひするのが務めぞ、臣民 近慾(ちかよく)なから分らんのぞ、慾もなくてはならんのざぞ、取違ひと鼻高とが一番恐いのざ。神は生れ赤子のこころを喜ぶぞ、みがけば赤子となるのぞ、いよいよが来たぞ。九月十日、ひつくのか三 。
平易意訳

 今の臣民めくら聾ばかりと申してありますが、その通りではないですか。この世はおろか自分の身体のことさえ分っては居ないのです。それでこの世を支えて行く積りですか。分らないと申しても余りではないですか。
 太陽(ミロク)達の申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出て来ます。太陽(ミロク)達は大難を小難にまつりかえているのに分りませんか。えらくむごいことが起るのを小難にしてあること分りませんか。ひどいことが出て来ること待っているのは邪(じゃ)のみたまです。そんなことでは神の臣民とは申されません。
 臣民は、・太陽(ミロク)達に、わるい事は小さくしてくださいと毎日お願いするのが務めです。臣民 近慾(ちかよく)ですから分らないのです。慾もなくてはならないのです。取違いと鼻高とが一番恐いのです。神は生れ赤子のこころを喜びます。みがけば赤子となるのです。いよいよが来ましたよ。
 九月十日、ひつくのか三。


解説と補足説明

  • yuru63:2015/12/24
     「大難を小難にまつりかえている」と云っています。太陽・ミロクの地上への潜入により、神サタンの操る劇場が神ミロクの操る劇場へと変化をを生じさせているのかもしれません。
     太陽達の活動がインターネットの文書に現れていますが、その活動(言の葉)の光と色がどのように作用しているかということは、人々にとって認識・理解の及ばないところです。一二三50-014に関連する説明があります。


年月日

昭和十九年九月十日
 旧七月二十三日(1944年)

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