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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三141

地つ巻 第04帖 (141)

 この神示いくらでも出て来るのざぞ、今の事と先の事と、三千世界、何も彼も分るのざから、よく読みて腹に入れておいて呉れよ、この神示 盗まれぬ様になされよ、神示とりに来る人あるから気つけて置くぞ。この道は中行く道ぞ、左も右りも偏ってはならんぞ、いつも心にてんし様拝みておれば、何もかも楽にゆける様になりてゐるのざぞ、我れが我れがと思うてゐると、鼻ポキリと折れるぞ。九月十六日、ひつくのか三()。
平易意訳

  この神示はいくらでも必要な内容が出て来るのです。今の事と先の事と、三千世界、何も彼も分るのですから、よく読んで腹に入れておいてください。この神示を 盗まれない様にしてください。神示をとりに来る人ありますから注意して置きます。
 この道は中行く道です。左にも右にも偏ってはなりません。いつも心にてんし(ゝ士・太陽ミロク)様を拝んでおれば、何もかも楽にゆける様になっているのです。我れが我れがと思っていると、鼻ポキリと折れます。
 九月十六日、ひつくのか三 。


解説と補足説明

  • yuru63:2016/08/21
     いくらでも出てくる「この神示」とは太陽達の説を実証する検証内容なのかもしれません。
     そう考えると「神示をとりに来る人ある」は、「太陽達の説が実証できなかったと云う人がある」という様に読めます。


年月日

昭和十九年九月十六日
 旧七月二十九日(1944年)

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