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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三144

地つ巻 第07帖 (144)

 神()にまつらふ者には生も死もないのぞ、死のこと、まかると申してあろうがな、生き通しぞ、なきがらは臣民残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ、それがまことの神()国の臣民ぞ、みことぞ。世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時からこの世初まってから生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来るのざぞ。肚が出来ておると、肚に神づまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ。海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまん様にして呉れよ、海めぐらしてある神()の国、きよめにきよめておいた神()の国に、幽国(がいこく)の悪わたりて来て神()は残念ぞ。見ておざれ、神()の力現はす時来たぞ。九月十八日、ひつ九
平易意訳

  太陽(ミロク)にまつらう者には生も死もないのです。死のこと、まかると申してあるでしょう。生き通しです。なきがらは臣民残さなならんのですが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであります。それがまことの神()国の臣民です、みことです。
 世の元と申すものは天も地も泥の海であったのです。
 その時からこの世初まってから生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来るのです。
 肚が出来て居ると、肚に神づまりますのです。高天原です。神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)忘れてはいけません。
 そこから分って来ます。
 海をみな船で埋めねばなりません。海断たれて苦しまない様にしてください。海めぐらしてある神の国日本、きよめにきよめておいた神ミロクの国に、幽国(がいこく)の悪がわたり来て神は残念です。見ていなさい、太陽(ミロク)達の力を現わす時が来ました。
 九月十八日、ひつ九


解説と補足説明

  • yuru63:2016/12/03
     肚が出来てくると、高天原の生き通しの神々様とつながるのかもしれません。

  • 参考資料

    水の巻 第02帖 (276)

     ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと)であるぞ。たかあまはらに、かむつまります、かむろぎ、かむろみのみこともちて、すめみおや かむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらに、みそぎはらひたまふときに、なりませる、はらえとのおほかみたち、もろもろのまがことつみけがれを、はらえたまへ きよめたまへと まおすことのよしを、あまつかみ、くにつかみ、やほよろづのかみたちともに、あめのふちこまの、みみふりたてて きこしめせと、かしこみかしこみもまおす。あめのひつくのかみ、まもりたまへ さちはへたまへ、あめのひつくのかみ、やさかましませ、いやさかましませ、一二三四五六七八九十(ヒトフタミヨイツムユナナヤココノタリ)。旧三月十日、三のひつ九か三。

年月日

昭和十九年九月十八日
 旧八月二日(1944年)

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