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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三149

地つ巻 第12帖 (149)

 この道は道なき道ざぞ。天理も金光も黒住も今はたましひぬけて居れど、この道入れて生きかへるのぞ、日蓮も親鸞も耶蘇も何もかもみな脱け殻ぞ、この道でたま入れて呉れよ、この道は ゝ ぞ、 〇 の中に ゝ 入れて呉れと申してあろうが。臣民も世界中の臣民も国々もみな同じことぞ、 ゝ 入れて呉れよ、 〇 を掃除して居らぬと ゝ はいらんぞ、今度の戦は 〇 の掃除ぞと申してあらうがな、まつりとは調和(まつり)合はすことと申してあろうがな、この道は教でないと云ふてあらうが、教会やほかの集ひでないと申してあらうがな、人集めて呉れるなと申してあらうがな。世界の臣民みな信者と申してあらうが、この道は道なき道、時なき道ぞ、光ぞ。この道でみな生き返るのざぞ。天明 阿房になりて呉れよ、我(が)すてて呉れよ、神かかるのに苦しいぞ。九月二十二日、あの一二
平易意訳

  太陽(ミロク)のこの道は過去に同じ道がない道です。
 天理も金光も黒住も今はたましいがぬけて居りますが、この道入れて生きかえるのです。日蓮の教えも親鸞の教えも耶蘇も何もかもみな脱け殻です。この道でたまを入れてください。この道はゝ(中心の たましい)です。〇 の中にゝを入れてくださいと申してあるでしょう。
 臣民も世界中の臣民も国々もみな同じことです。ゝを入れてください。 〇を掃除して居ないと ゝ 入りません。今度の戦は 〇(文化・身体・…)の掃除ですと申してあるでしょう。まつりとは調和(まつり)合わすことと申してあるでしょう。この道は教でないと云ってあるでしょう。教会やほかの集いと同様ではないと申してあるでしょう。人集めてくれるなと申してあるでしょう。
 世界の臣民みな信者と申してあるでしょう。この道は道なき道、時なき道です。光です。
 この道でみな生き返るのです。
 天明 阿房になってください。我(が)をすててください。アメのひつ九神かかるのに苦しいです。
 九月二十二日、あの一二


解説と補足説明

  • yuru63:2017/07/16
     〇の掃除をせねば、ゝである「たましい・中心にある目的・意識」というものが入らない様です。ゝが入らねば〇だけの脱け殻ですので、いきていない といえます。
     「〇」に相当するものは例えば、身体・教義体系・文化・…等々、それぞれの活動分野において様々に存在すると思います。それぞれが脱け殻にならぬよう掃除しゝを入れていくことが今度の戦なのでしょう。


年月日

昭和十九年九月二十二日
 旧八月六日1944年)

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