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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三153

地つ巻 第16帖 (153)

 神()が臣民の心の中に宝いけておいたのに、悪にまけて汚して仕まうて、それで不足申してゐることに気づかんか。一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようがわれさへよけらよいと申してゐるでないか。それはまだよいのぞ、神()の面(めん)かぶりて口先ばかりで神さま神さま てんしさま てんしさま と申したり、頭下げたりしてゐるが、こんな臣民一人もいらんぞ、いざと云ふときは尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ、犬猫は正直でよいぞ、こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しぞ。
 神()の申したこと一分一厘ちがはんのざぞ、その通りになるのざぞ。うへに唾(つば)きすればその顔に落ちるのざぞ、時節ほど結構なこわいものないぞ、時節来たぞ、あはてずに急いで下されよ。世界中うなるぞ。陸が海となるところあるぞ。今に病神(やまいがみ)の仕組にかかりてゐる臣民苦しむ時近づいたぞ、病はやるぞ、この病は見当とれん病ぞ、病になりてゐても、人も分らねばわれも分らん病ぞ、今に重くなりて来ると分りて来るが、その時では間に合はん、手おくれぞ。この方の神示(ふで)よく肚に入れて病追ひ出せよ、早うせねばフニャフニャ腰になりて四ツん這ひで這ひ廻らなならんことになると申してあらうがな、神()の入れものわやにしてゐるぞ。九月二十三日、ひつ九のか三。
平易意訳

  マコトの神が臣民の心の中に宝をいけておいたのに、悪にまけて汚して仕まって、それで不足申していることに気づきませんか。
 一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようがわれさえよければよいと申しているではないですか。
 それはまだよいのです。神の面(めん)かぶって口先ばかりで神さま神さま てんしさま てんしさま と申したり、頭下げたりしていますが、こんな臣民一人もいりません。いざと云うときは尻に帆かけて逃げ出す者ばかりです。犬猫は正直でよいです。こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しです。
 太陽達マコトの神の申したこと一分一厘ちがわないのです。その通りになるのです。
 うえに唾(つば)きすればその顔に落ちるのです。時節ほど結構なこわいものはありません。時節来ました。あわてずに急いで下さいよ。
 世界中が真実を知り、うなります。
 陸が海となるところがあります。
 今に月人による病神(やまいがみ)の仕組にかかっている臣民苦しむ時近づきました。病がはやります。この病は見当とれない病です。病になっていても、人も分らねば我も分らない病です。今に重くなって来ると分って来ますが、その時では間に合いません。手おくれです。
 この方ミロクの神示(ふで)をよく腹に入れて病を追い出しなさい。早くせねば、いざというときになるとフニャフニャ腰になって四ツん這いで這い廻らねばならないことになると申してあるでしょう。神の入れものである太陽の仕組の御役にたつ身体やサイトをわやにしていますよ。
 九月二十三日、ひつ九のか三。


解説と補足説明

  • yuru63:2018/04/10
     時節が来れば否が応でも真実を確認することになり、人々の常識を覆すため、「世界中がうなります」という事になるのでしょう。


年月日

昭和十九年九月二十三日
 旧八月七日(1944年)

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