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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三155

地つ巻 第18帖 (155)

 われよしの政治ではならんぞ、今の政治経済はわれよしであるぞ。臣民のソロバンで政治や経済してはならんぞ、神()の光のやり方でないと治まらんぞ、与へる政治がまことの政治ぞよ、臣民いさむ政治とは上下まつろひ合はす政治のことぞ、日()の光あるときは、いくら曇っても闇ではないぞ、いくら曇っても悪が妨げても昼は昼ぞ、いくらあかりつけても夜は夜ぞ、神()のやり方は日の光と申して、くどう気つけてあらうがな。政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、まつりごとではないぞ。神()の臣民、魂と肉体の別ないと申してあること分らぬか、神()のやり方は人の身魂(からたま)人のはたらき見れは直ぐ分るでないか。肚にチャンと神()鎮まって居れば何事も箱さした様に動くのざぞ、いくら頭がえらいと申して胃袋は頭のいふ通りには動かんぞ、この道理分りたか、ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。神()の政治はやさしい六ヶしいやり方ぞ、高きから低きに流れる水のやり方ぞ。神()の印(しるし)つけた悪来るぞ。悪の顔した神()あるぞ。飛行機も船も臣民もみな同じぞ。足元に気つけて呉れよ、向ふの国はちっとも急いでは居らぬのぞ、自分で目的達せねば子の代、子で出来ねば孫の代と、気長くかかりてゐるのざぞ、神()の国の今の臣民、気が短いから、しくじるのざぞ。しびれ切らすと立ち上がれんぞ、急いではならんぞ、急がねばならんぞ。神()の申すこと取り違ひせぬ様にして呉れよ。よくこの神示(ふで)よんで呉れよ、元の二八基(じゃき)光理(こり)てわいて出た現空(あく)の種は二八基(じゃき)と大老智(おろち)と世通足(よつあし)となって、二八基には仁本の角、大老智は八ツ頭、八ツ尾、四通足(よつあし)は金母(金毛)であるから気つけておくぞ。世通足はお実名に通(つ)いて分けてゐる{女(おみな)に憑いて化けてゐる}から、守護神どの、臣民どの、だまされぬ様に致して下されよ。九月二十三日、あのひつ九のか三。
平易意訳

  われよしの政治ではなりません。今の政治経済はわれよしであります。
 臣民のソロバン(計算)で政治や経済してはなりません。太陽(ミロク)達の様なの光のやり方でないと治まりません。与える政治がまことの政治ですよ。臣民が勇む政治とは上下(上の人と下の人)をまつろい合わす(調和状態に一体化させる)政治のことです。日(太陽ミロク)の光があるときは、いくら曇っていても闇ではないです。いくら曇っても悪が妨げても昼は昼です。日の光(太陽ミロクの光)なければ いくらあかりつけても夜は夜です。太陽(ミロク)のやり方は日の光と申して、くどく気づかせてあるでしょう。
 政治です、これは経済ですと分けることは、まつりごと(政)ではないです。
 神()の臣民、魂と肉体の区別はないと申してあること分りませんか。真のやり方は人の身魂(からたま)人のはたらき見れは直ぐ分るではないですか。
 肚にチャンと神()が鎮まって居れば何事も計算しつくした様に動くのです。いくら頭がえらいと申して胃袋は頭のいう通りには動きませんよ。この道理分りましたか。ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならないのです。
 神()の政治はやさしくできても本当は難しいやり方です。高きから低きに流れる水のやり方です。
 神の印(しるし)つけた悪来ます。
 悪の顔した神あります。
 飛行機も船も臣民もみな同じです。
 身近なところに気をつけてください。月人誘導の向うの国はちっとも急いでは居ないのです。自分で目的達せねば子の代、子で出来ねば孫の代と、気長くかかっているのです。太陽(ミロク)の国の今の臣民、気が短いから、しくじるのです。
 しびれ切らすと立ち上がれません。急いではなりません。急がねばならないことです。
 太陽(ミロク)の申すこと取り違いしない様にしてください。
 よくこの神示(ふで)よんでください。
 元の二八基(じゃき)光理(こり)てわいて出た現空(あく)の種は二八基(じゃき)と大老智(おろち)と世通足(よつあし)となって、二八基には仁本の角、大老智は八ツ頭、八ツ尾、四通足(よつあし)は金母であるから注意しておきます。
 世通足はお実名に通(つ)いて分けていますから、守護神どの、臣民どの、だまされない様に致して下さい。
 九月二十三日、あのひつ九のか三。


解説と補足説明


年月日

昭和十九年九月二十三日
 旧八月七日(1944年)

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