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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

予言・預言の検証編太陽の検証

yuru63:2013/04/27

一二三462:先づ己の仕事せよ、五人分も十人分もせい出せ

ひふみの御用をする者は五人分も十人分もの顔をもつことになるのかもしれません。
例えば、
家族の一員として、
社会人として、
日本人として、
宇宙・地球の事情を理解した人として、
太陽の子として、
でようやく五人分となったところで、御用することになり、
次の段階さらに五人分(5段階分)の顔をもつと十人分となりますので、その段階までの活動をしていくことになるようです。
次の段階は様々にあるでしょうが、たとえば、
求道者として、
中今を生きる者として、
検証する者として、
この宇宙の一員として、・・・などなど、
十項目の全容はまだわかりません。
上の段階はいくらでもあるようですので、研鑽を怠るべからずというところです。

参考資料

空の巻 第07帖 (462)

  これだけ細かに神示で知らしても未だ判らんか、我があるからぞ、曇りてゐるからぞ、先づ己の仕事せよ、五人分も十人分もせい出せと申してあろ、五人分仕事すれば判りて来るぞ、仕事とはよごとであるぞ、仕事せよ、仕事仕へまつれよ、それが神の御用ざぞ。神の御用ざと申して仕事休んで狂人(きちがい)のまねに落ちるでないぞ、静かに一歩々々進めよ、急がば廻れよ、一足飛びに二階にはあがれんぞ、今の仕事悪いと知りつつするは尚悪いぞ、四五十(しごと)、四五十と神に祈れよ、祈れば四五十与えられるぞ、祈れ祈れとくどう申してあろが、よき心よき仕事生むぞ、嘉事(よごと)うむぞ、この道理まだ判らんのか、神にくどう申さすでないぞ。大智大理交はり、道はあきらか、大愛、大真出でひらく道、ひらきて大智、大愛、和し、交はりて、ひふみの極み、弥栄、弥栄の大道ぞ。一月十三日、ひつ九
解読編

 これだけ細かに神示で知らせても未だ判りませんか。我があるからです。曇っているからです。先づ己の仕事をしなさい。五人分も十人分もせい出せと云ってあるでしょう。五人分仕事すれば判って来ます。仕事とは世事【よごと】なのです。仕事をしなさい。仕事に仕えまつりなさい。それが神ミロクの御用です。
 神ミロクの御用だといって仕事を休んで狂人(きちがい)のまねに落ちてはいけません。静かに一歩々々進みなさい。急がば廻れですよ。一足飛びに二階にはあがれません。今の仕事が悪いと知りつつするのは尚悪いのです。四五十(しごと・よごと)、四五十と神に祈りなさい。祈れば四五十が与えられます。祈れ祈れとくどく云ってあるでしょう。よき心はよき仕事を生みます。嘉事(よごと)をうむのです。この道理がまだ判らないのですか。太陽(ミロク)にくどく云わせてはいけません。
 大智である太陽(ミロク)の智と大理という真理が交わり、道はあきらかです。道を示す太陽(ミロク)の大愛、大真が出でて岩戸をひらく道、太陽(ミロク)原理をひらいて大智となし、大愛が湧き、神ミロクと人が和し、交わって、ひふみの極みの仕組である弥栄、弥栄の大道となるのです。
 一月十三日、ひつ九

年月日
昭和二十二年一月十三日  旧十二月二十二日(1947年)


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