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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三497

海の巻 第05帖 (497)

 今日(こんにち)までの御教は、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教(みおしへ)ぞ、この御教に人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことのおろかさよ、三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々ふへるのみ、悪殺すてふ其のことが、悪そのものと知らざるや、神()の心は弥栄ぞ、本来 悪も善もなし、只み光の栄ゆのみ、八股おろちも金毛も、ジャキも皆それ生ける神()、神()の光の生みしもの、悪抱きませ善も抱き、あななふ所に御力の、輝く時ぞ来たるなり、善いさかへば悪なるぞ、善悪不二と云ひながら、悪と善とを区別して、導く教ぞ悪なるぞ、只御光の其の中に、喜び迎へ善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界大和して、只御光に生きよかし、生れ赤児となりなりて、光の神()の説き給ふ、誠の道をすすめかし、マコトの道に弥栄ませ。八月十五日、 のひつ九の しるす。
 言答(いわと)明けたる今日ぞ目出度し、二の言答(いわと)早よう明けてよ。

 今日(こんにち)までの御教は、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云う教えです。
 これが悪魔の御教(みおしへ)・うその教えなのです。この御教に人民は、すっかりだまされて悪を殺すことが正しきことであると、信じていることのおろかさよ。
 三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の平和を求め願っていたのですが、それははかなき水の泡だったのです。
 悪を殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々ふへるのみです。
 悪を殺すという其のことが、悪そのものと知らないのですか。
 神の心は弥栄です。本来 悪も善もなし。只み光の栄ゆるのみです。
 八股おろちも金毛も、ジャキも皆それ生ける神です。神の光のなかに生んだものです。悪を抱きませ善も抱き、助け合う所に御力の、輝く時が到来するのです。
 善もいさかえば悪となります。
 善悪不二と云いながら、悪と善とを区別して、導く教こそ悪なのです。
 只御光の其の中にて、喜びを迎え、善もなく、悪もあらざる天国です。
 皆一筋の大神の働きなのですよ悪はないのです。
 世界を一家とする大業は、地の上ばかりでは何ともならないものです。
 三千世界が大和して、只御光に生きてくださいませ。
 生れ赤児となりなりて、光の神太陽(ミロク)の説き給う、誠の道をすすんでください。
 マコトの道に弥栄となりますように。
 八月十五日、 のひつ九の しるす。

 太陽の出現により 言答(いわと)が明けている今日は目出度いことです。二(次・継ぎ・月・示・字)の言答(いわと)を早く明けてくださいよ。


解説と補足説明

  • yuru63:2019/06/25
     「ひふみ」の説く「悪を抱き参らせる」は、悪をも活用して光の道へ岩戸開きへと進展させるという高度な仕組です。段階の低かった地上世界は、高レベルの存在の影響を受けてプチ神レベルへと移行していくようにサポートを受けていると思われます。


年月日

昭和二十二年八月十五日
 旧閏六月二十九日(1947年)

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