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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-004

扶桑の巻 第04帖 (004)

 ツミケガレ 今はあらじと はらえ給ひそ。

 空白とは九八九であるぞ、八と九、九と八の境をひらくことが岩戸を開くことぢゃ、空白とは最も根本を為す最も力あることであるぞ。

 罪穢れも 今は無いようにと 祓い給います。

 空白とは九八九であるのです。八と九、九と八の境である「充満・無限=〇(ゼロ)に至る少し手前にある見えていない理(ミチ)」をひらくことが岩戸を開くことです。空白(見えない処)とは最も根本を為す最も力のあることなのです。


解説と補足説明

  • yuru63:2016/08/21
     八方的な世から「九(極)・〇」までの世にするための理であり方法というものが地上の世の中において空白にされてきたのかもしれません。
     本来の神世ならば〇一二三四五六七八九の世なのですが、一二三四五六七八の世にされている、つまり九から八になっている事も人々の認識において空白になっていたのでしょう。
     「八と九、九と八の境は目に見えない」という意味でも空白と言うのかもしれません。


年月日

昭和三十六年五月五日
 旧三月二十一日(1961年)

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