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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-010

扶桑の巻 第10帖 (010)

 赤丹(あかに)の頬に きこしめしませ 御酒(ミキ)たてまつる。

 何事が起って来ても先づ喜んで迎へねばならんぞ、近づいてくるのは呼びよせたからぢゃ、こんないやな、きたないものは、ごめんぢゃと申す人民もあるなれど、それは皆 己の心のうつしでないか。内に無いものが外から近よる道理ないのぢゃ、どんなものでも、喜んでむかへるとよろこびとなる結構な仕組、よく会得せよ。何事も一段づつ、一歩づつぢゃ、一足飛びは大怪我のもと

 赤ん坊のように赤い頬(ほお)に、神ミロクの御キ(氣)を奉りますので、聞いてください 示してください。

 何事が起って来ても先ず喜んで迎えねばなりません。近づいてくるのは呼びよせたからです。こんないやな、きたないものは、ごめんだと云う人民もあるのですが、それは皆 己の心のうつしではないですか。
 内に無いものが外から近よる道理はないのです。どんなものでも、喜んでむかえるとよろこびとなる結構な仕組なのです。よく会得しなさい。
 何事も一段ずつ、一歩ずつです。一足飛びは大怪我のもと。


解説と補足説明

  • yuru63:2016/02/18
     「赤丹の頬」なのは、われわれ人民のことなのでしょう。宇宙の神々からみると人民は、赤ん坊のような存在なのかもしれません。
     又神示では生まれ赤子の心を喜ぶといっています。その方がうまく育ちそうです。


年月日

昭和三十六年五月五日
 旧三月二十一日(1961年)

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