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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-011

扶桑の巻 第11帖 (011)

 沖つ藻葉辺津藻葉ぞ。

 母しらす御国の五のハタラキは何れも十のつばさを持ってゐるぞ、足は十本であるぞ、更に五十のつばさとなりなる仕組、五十の足がイツラぞ、イツラではうごきとれん。四十九として働いてくれよ、真中の一はうごいてはならん。真中うごくでないぞと申してあろうがな、時過ぎてタネまく人民多いのう、人民と申すものは天狗ざから、自分はよいのだが、世の中悪いのざと申してゐるなれど、世の中と申すものは大神のハタラキの現れであるから、【大神の中でのうごきであるから】、世の中が悪いと思ふのは、大神が悪いと思ふことになるのぢゃぞ、其処に底知れぬ程の魔の仕組があるぞ、気つけおくぞ。

 沖にある藻葉は海辺(津)にある藻葉です。(奥にある大神の働きは身近なものに現れています)

 ひふみ神示【母】がしらせる御国の五のハタラキは何れも十の【十方(十次元)へ展開することのできる】つばさを持っているのです。太陽(ミロク)の足場は十本(十柱)なのです。更に五十のつばさとなりなる仕組です。五十の足がイツラです、イツラではうごきがとれません。
 四十九(天明:神ミロクの意を補佐するもの)として働いてください。真中の太陽(ミロク)の意【一】はうごいてはなりません。
 真中はうごいてはならない(道理を極めた うごきなき心)と云ってあるでしょう。時を過ぎてタネをまく人民が多いですねぇ。人民というものは天狗ですから、「自分はよいのだが、世の中悪いのだ」と云っているのですが、世の中というものは大神のハタラキの現れであるから、【大神の中でのうごきであるから】、世の中が悪いと思うのは、大神が悪いと思うことになるのです。其処に底知れぬ程の魔の仕組があるのです。注意しておきます。


解説と補足説明

  • yuru63:2016/02/07
    奥深い内容が書かれている様です。
    「真中うごくでない」についてもいろいろと考えさせられます。

  • 「…、心をまん中に置て、…
     …道理を極め、うごきなき心…」
    【参考文献】
    五輪書 水之巻 心の持ち方(兵法心持の事)
    原稿 http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g201.html#r202

    2 心の持ち方

    【原 文】

    一 兵法、心持の事。
    兵法の道におゐて、心の持様ハ、
    常の心に替る事なかれ。
    常にも兵法のときにも、少も替らずして、
    心を廣く直にして、
    きつくひつぱらず、すこしもたるまず、
    心のかたよらぬやうに、心をまん中に置て、
    心を静にゆるがせて、其ゆるぎのせつなも、
    ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。
    静なるときも、こゝろハしづかならず、
    何と早き時も、心ハ少もはやからず。
    心ハ躰につれず、躰ハ心につれず、
    心に用心して、身には用心をせず。
    心のたらぬ事なくして、心を少もあまらせず、
    上の心はよハくとも、底の心を強く、
    心を人に見分けられざる様にして、
    少身なるものハ、心に大なる事を残らず知り、
    大身なるものハ、心にちいさき事を能知りて、
    大身も小身も、心を直にして、我身の
    ひいきをせざる様に、心をもつ事肝要也。
    心の内にごらず、廣くして、
    廣き所に智恵をおくべき也。
    智恵も心も、ひたとみがく事専也。
    智恵をとぎ、天下の利非をわきまへ、
    物毎の善悪をしり、
    万の藝能、其道々をわたり、
    世間の人にすこしもだまされざるやうにして、
    後、兵法の智恵となる心也。
    兵法の智恵におゐて、
    とりわきちがふ事、有もの也。
    戦の場、万事せわしき時なりとも、
    兵法、道理を極め、うごきなき心、
    能々吟味すべし

  • http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/sunmoon/50_01_light/light_01_011.htm
    より

    ロックさん

    ●母を知らす御国の五の働きは何れも十の翼を持っているのです、足は十本です、更に五十の翼と成り成る仕組、五十の足がイツラです、イツラでは動きは取れません。四十九として働いて下さい、真中の一は動いてはなりません。真中は動いてはならないと云っていたでしょう、

     この部分は、漠然ながら、臣民にミロクの目鼻口耳手足の役目をする四十九としての働きをしなさいということを示していて、その真ん中にいる一である、ミロク本体は動いてはならないとしていると取りました。

    ●時を過ぎてタネまく人民が多いのです、人民と云う物は天狗なので、自分はよいのだが、世の中悪いのだと云っていますが、世の中と云う物は大神の働きの現れであるから、【大神の中での動きであるから】、世の中が悪いと思うのは、大神が悪いと思うことになるのです、其処に底知れぬ程の魔の仕組があるのです、気をつけておきますよ。

      この部分は、第10帖の内容を補足しているような感じです。「悪いことを待つこと」も魔の仕組のようですし、「世の中が悪いと思う」ことも、大神が悪いと思うことになって其処に底知れぬ魔の仕組があるようですね。

    ●沖つ藻葉辺津藻葉ぞ。

      沖にある藻の葉も、辺りの津の藻の葉も同じ藻の葉ですと言う意味?だと、藻に良いも悪いもないということになりそうですが。藻の花というのはあるようですが、藻葉というのは一般に辞書ではないようです。成長した枝から生えるのが葉ですから、元は大神から生み出された生命体にあたる人類もそのような良いも悪いもない藻のような存在なのに、何を思い違いしているのかという内容を示唆しているのがこの帖かも知れませんね。

    つ 1 【津】
    (1)海岸・河岸の船舶が来着する所。船つき場。渡し場。港。
    (2)特に、船つき場や渡し場に対して、物資が集散し、集落が形成された所。港町。


年月日

昭和三十六年五月五日
 旧三月二十一日(1961年)

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