沖つ藻葉辺津藻葉ぞ。 母しらす御国の五のハタラキは何れも十のつばさを持ってゐるぞ、足は十本であるぞ、更に五十のつばさとなりなる仕組、五十の足がイツラぞ、イツラではうごきとれん。四十九として働いてくれよ、真中の一はうごいてはならん。真中うごくでないぞと申してあろうがな、時過ぎてタネまく人民多いのう、人民と申すものは天狗ざから、自分はよいのだが、世の中悪いのざと申してゐるなれど、世の中と申すものは大神のハタラキの現れであるから、【大神の中でのうごきであるから】、世の中が悪いと思ふのは、大神が悪いと思ふことになるのぢゃぞ、其処に底知れぬ程の魔の仕組があるぞ、気つけおくぞ。 |
沖にある藻葉は海辺(津)にある藻葉です。(奥にある大神の働きは身近なものに現れています)
ひふみ神示【母】がしらせる御国の五のハタラキは何れも十の【十方(十次元)へ展開することのできる】つばさを持っているのです。太陽(ミロク)の足場は十本(十柱)なのです。更に五十のつばさとなりなる仕組です。五十の足がイツラです、イツラではうごきがとれません。
四十九(天明:神ミロクの意を補佐するもの)として働いてください。真中の太陽(ミロク)の意【一】はうごいてはなりません。
真中はうごいてはならない(道理を極めた うごきなき心)と云ってあるでしょう。時を過ぎてタネをまく人民が多いですねぇ。人民というものは天狗ですから、「自分はよいのだが、世の中悪いのだ」と云っているのですが、世の中というものは大神のハタラキの現れであるから、【大神の中でのうごきであるから】、世の中が悪いと思うのは、大神が悪いと思うことになるのです。其処に底知れぬ程の魔の仕組があるのです。注意しておきます。
yuru63:2016/02/07
奥深い内容が書かれている様です。
「真中うごくでない」についてもいろいろと考えさせられます。
「…、心をまん中に置て、…
…道理を極め、うごきなき心…」
【参考文献】
五輪書 水之巻 心の持ち方(兵法心持の事)
原稿 http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g201.html#r202
2 心の持ち方 |
http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/sunmoon/50_01_light/light_01_011.htm
より
ロックさん●母を知らす御国の五の働きは何れも十の翼を持っているのです、足は十本です、更に五十の翼と成り成る仕組、五十の足がイツラです、イツラでは動きは取れません。四十九として働いて下さい、真中の一は動いてはなりません。真中は動いてはならないと云っていたでしょう、 この部分は、漠然ながら、臣民にミロクの目鼻口耳手足の役目をする四十九としての働きをしなさいということを示していて、その真ん中にいる一である、ミロク本体は動いてはならないとしていると取りました。 ●時を過ぎてタネまく人民が多いのです、人民と云う物は天狗なので、自分はよいのだが、世の中悪いのだと云っていますが、世の中と云う物は大神の働きの現れであるから、【大神の中での動きであるから】、世の中が悪いと思うのは、大神が悪いと思うことになるのです、其処に底知れぬ程の魔の仕組があるのです、気をつけておきますよ。 この部分は、第10帖の内容を補足しているような感じです。「悪いことを待つこと」も魔の仕組のようですし、「世の中が悪いと思う」ことも、大神が悪いと思うことになって其処に底知れぬ魔の仕組があるようですね。 ●沖つ藻葉辺津藻葉ぞ。 沖にある藻の葉も、辺りの津の藻の葉も同じ藻の葉ですと言う意味?だと、藻に良いも悪いもないということになりそうですが。藻の花というのはあるようですが、藻葉というのは一般に辞書ではないようです。成長した枝から生えるのが葉ですから、元は大神から生み出された生命体にあたる人類もそのような良いも悪いもない藻のような存在なのに、何を思い違いしているのかという内容を示唆しているのがこの帖かも知れませんね。 つ 1 【津】 |
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