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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-012

扶桑の巻 第12帖 (012)

 進(タテマツ)る 宇都の幣帛(ミテクラ) きこしめしたべ。

 神の御手に巻物があるぞ、その巻物の数は五十巻ぢゃ、この巻物を見たものは今迄に一人もなかったのであるぞ、見ても判らんのぢゃ。巻物を解いて読もうとすれば、それは白紙となって了うのであるぞ、人民には判らんなり。説くことは出来んなり、この巻物は天の文字で書いてあるぞ、数字で書いてあるぞ、無が書いてあるぞ、無の中に有がしるしてあるぞ、心を無にすれば白紙の中に文字が現はれるのであるぞ、時節参りて誰の目にも黙示とうつるようになった、有難いことであるぞ、岩戸がひらけて愈々の時となったのぞ、始めからの巻物よく読んで下されよ、よくより分けて下されよ、何も彼も一切ありやかに刻まれてゐるぞ、残る十二巻と一巻は人民では判らんぞ、無の巻物ぞ、空に書いてあるぞ。

 更新し奉納している 宇宙の御手による幣帛(ミテクラ・検証内容)を 聞き、読んでください。

 神の御手に巻物があります。その巻物の数は五十巻です。この巻物を見たものは今迄に一人もなかったのです。見ても判らないのです。
 巻物を解いて読もうとすれば、それは白紙となって了うのです。人民には判らないのです。
 説くことは出来ないのです。この巻物は天の文字(ゝの文字)で書いてあります。数字で書いてあります。無(見えていない感じていない偉大なもの)が書いてあるのです。無の中に有がしるしてあるのです。心を無にすれば白紙の中に文字が現われるのです。太陽(ミロク)の目覚め始める時節が参りて誰の目にも黙示とうつるようになったのです。有難いことなのです。岩戸がひらけて愈々の時となったのです。始めからの巻物をよく読んで下さいよ。よくより分けて説明して下さいよ。何も彼も一切ありやかに刻まれているのです。残る十二巻と一巻は人民では判らないのです。無の巻物です。空に書いてあります。


解説と補足説明

  • yuru63:2016/1/23
    黙示(検証)が誰の目にも確認できるようになったと説明してあります。更新し奉納したことが意図せずとも自然に検証内容となっていることもある様です。

  • yuru63:2013/05/05
    「時節参りて誰の目にも黙示とうつるようになった」
     黙示に関しては、検証という形で示されているものを確認することが必要になってきます。
    サイトに載っているものを読み発見するということですので、現在はサイトのページ数も多くなってきていて、読むのが大変かもしれませんが、「終末と太陽の検証」の読み方に関しても「ひふみ神示」で助言されているようです。

    また無の巻物があるというように、人民にはわからない領域の示しというものがあるようです。
    達人の境地に「無心」というものがありますが、ここで云われていることと関連しているのかもしれないと思っているところです。


年月日

昭和三十六年五月五日
 旧三月二十一日(1961年)

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