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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-017

碧玉の巻 第02帖 (017)

 気の合う者のみで和して御座るなれど、それでは和にならんと知らしてあろうがな、今度は合わんものと合せるのぢゃ、岩戸がひらけたから、さかさまのものが出て来てゐるのぢゃ、この行(ぎょう)、中々であるなれど、これが出来ねば岩戸はひらけんのぢゃ、マコトの神さえ魔神のワナにかかって御座るのぢゃ、人民がだまされるのも無理ないようなれど、だまされてゐては今度の御用は成就せんぞ。自分自身にだまされてゐる人民も多いのであるが、ついて御座れよ、少しは苦しき行もあるなれど見事なことを致して御目にかけるぞ、自分でもビックリぢゃ、はじめからの神示よく読んで下されよ、霊かかりよろしくないぞ、やめて下されと申してあろう。

 気の合う者のみで和しているのですが、それでは和にならないと知らしてあるでしょう。今度は合わないものと合せるのです。岩戸がひらけたから、さかさまのものが出て来ているのです。この行(ぎょう)は、中々難しいのですが、これが出来ねば岩戸はひらけないのです。マコトの神さえ魔神のワナにかかっているのです。人民がだまされるのも無理ないようですが、だまされていては今度の御用は成就しませんよ。
 自分自身にだまされている人民も多いのですが、ついてきなさい。少しは苦しき行もあるのですが見事なことを致して御目にかけます。自分でもビックリです。はじめからの神示をよく読んで下さいよ。霊かかりはよろしくないのです。やめて下されと云ってあるでしょう。


解説と補足説明

  • yuru63:2015/09/07
     一方的なもので済んだ世から、岩戸が開き、正反、陰陽が現実化する世となっているので、逆さまのものが現れる様です。逆さまのものを合わせるとは、凸凹をはめ込むような作業なのかもしれません。うまくいけば球(〇)の形となっていくのでしょう。 


年月日

昭和三十六年五月六日
 旧三月二十二日(1961年)

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