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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-020

碧玉の巻 第05帖 (020)

 七は成り、八は開くと申してあろうが、八の隈(くま)からひらきかけるのであるぞ、ひらけると 〇と九と十との三が出てくる、これを宮と申すのぞ、宮とはマコトのことであるぞ、西と東に宮建てよと申すこと、これでよく判るであろうが、マコトの数を合せると五と五十であるぞ。中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。これが根本の型であり、型の歌であり、型の数であるぞ、摩邇(マニ)の宝珠(タマ)であるぞ、五十は伊勢であるぞ、五百は日本であるぞ、五千は世界であるぞ、このほう五千の山、五万の川、五億のクニであるぞと申してあろうがな。

 七(2010年)は成り、八(2011年)は開くと云ってあるでしょう。八の隈(くま)(年末頃)からひらきかけるのですよ。ひらけると 見えない処【〇】と極まる処【九】と火水(秘密)の答【十】との三が出てきます。これを宮というのです。宮とは「誠にて祀った言葉【マコト】」のことなのです。西と東に宮(文書の宮)を建てよということが、これでよく判るでしょう。マコトの数を合せると五と五十なのです。
 中心に「世紀末の研究報告【五】」があり、その周辺が五十と展開する内容(終末と太陽の検証)となるのです。
 これが根本の型であり、型の歌であり、型の数なのです。神ミロクの光が現実界に定着した宝の珠【摩邇(マニ)の宝珠(タマ)】なのです。五十は意識世界の中心力【伊勢】なのです。それとつながる五百は日本なのです。更に広くつながっている五千は世界なのです。このほう太陽(ミロク)の現れは五千の山、五万の川、五億のクニであるのですよと云ってあるでしょう。


解説と補足説明

  • yuru63:2015/07/12
     神国の型から神国の現れという姿を説明しています。


年月日

昭和三十六年五月六日
 旧三月二十二日(1961年)

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