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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-029

碧玉の巻 第14帖 (029)

 頭と尻尾だけでは何も出来ん、化物ぢゃ。八尾八頭(かしら)の時代はすんだのであるぞ、【かんじん】の胴体がないぞ、日本が胴体であるぞ、日本を何処に忘れて来たのか、自分でも判るまいがな、尻の毛まで抜かれた化物の姿、鏡にうつして見るがよい、鏡は神示ぢゃと早うから知らしてあろうがな。

 頭と尻尾だけでは何も出来ません、化物です。
 八尾八頭(かしら)の「1~8」の時代はすんだのです。中心に存在する無限(0)の光(9)である【かんじん】の胴体がないのです。太陽(ヒ・日)が中心にある日本が胴体なのです。日本を何処に忘れて来たのですか、自分でも判らないでしょう。尻の毛まで抜かれた化物の姿を、鏡にうつして見てください。自身を映す鏡は神示だと早くから知らしてあるでしょう。


解説と補足説明

  • yuru63:2015/02/19
     神示を読めば自分の姿を観ることになるようです。その鏡にうつった自分を見て、身魂を磨かねばと思う今日この頃です。
    「八尾八頭」は一二三50-111の「八方的な想念や肉体」と関連しているとすると、この帖に記されている事柄は「十方的想念と肉体」への道しるべでもある様です。

    【以下は参考画像】
    「八方的な想念や肉体の例」


    「十方的想念と肉体の例」


年月日

昭和三十六年五月六日
 旧三月二十二日(1961年)

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