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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-033

碧玉の巻 第18帖 (033)

 氷と水と水蒸気ぢゃと申してあろうがな、同じであって違ふのぞと知らしてあろう、地には地の、天には天の、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、植物には植物の、それぞれの法則があり、秩序があるのであるぞ、霊界に起ったことが現界にうつると申しても其のままでうつるのではないぞ、また物質界が霊界に反影すると申しても其のままに反影するのではないぞ、総てが太神の中での動きであるから、喜びが法則となり秩序となって統一されて行くのであるぞ、それをフトマニと申すのぞ、太神の歓喜から生れたものであるが、太神もその法則、秩序、統一性を破る事は出来ない大宇宙の鉄則であるぞ、鉄則ではあるが、無限角度をもつ球であるから、如何ようにも変化して誤らない、マニ(摩邇)の球とも申すのであるぞ。その鉄則は第一段階から第二段階に、第二段階から第三段階にと、絶えず完成から超完成に向って弥栄するのであるぞ。弥栄すればこそ、呼吸し、脈拍し、進展して止まないのであるぞ。このこと判れば、次の世のあり方の根本がアリヤカとなるのであるぞ。

 現界と天界と神界は氷と水と水蒸気のような関係ですと云ってあるでしょう。同じであって違うのですと知らしてあるでしょう、地には地の、天には天の、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、植物には植物の、それぞれの法則があり、秩序があるのです。霊界に起ったことが現界にうつると云っても其のままでうつるのではないのです。また物質界が霊界に反影すると云っても其のままに反影するのではないのです。総てが宇宙を支える太神の中での動きですから、喜びが法則となり秩序となって統一されて行くのです。それを「フトマニ」というのです。太神の歓喜から生れたものでありますが、太神もその法則、秩序、統一性を破る事は出来ない大宇宙の鉄則であるのです。鉄則ではあるが、無限角度をもつ球の形を持つものですから、如何ようにも変化して誤らない、「マニ(摩邇)の球」ともいうのですよ。
 その鉄則は第一段階から第二段階に、第二段階から第三段階にと、絶えず完成から超完成に向って弥栄するのです。
 弥栄すればこそ、呼吸し、脈拍し、進展して止まないのです。
 このことが判れば、次の世のあり方の根本がアリヤカとなるのです。


解説と補足説明

  • yuru63:2015/01/02
    「次の世」は一二三50-034で説明している20年毎に新しくするものと関係している様です。現在はその20年の節目に相当するような時期なのかもしれません。


年月日

昭和三十六年五月六日
 旧三月二十二日(1961年)

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