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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-049

星座の巻 第15帖 (049)

 十二人が一人欠けて十一人となるぞ、その守護神を加へて二十二柱、二十二が富士ぢゃ、真理ぢゃ、又三であるぞ、今迄は四本指八本指で物事をはかって誤りなかったのであるが、岩戸が明けたから親指が現れて五本十本となったのぢゃ、このことよくわきまへよ。

 十二人が一人欠けて十一人の仕組となります。その守護神を加えて二十二柱、二十二が富士です。真理です。又天と地が和した「三」⇒「」であるのです。今迄は四本指八本指で物事をはかって誤りなかったのですが、岩戸が明けたから親指である太陽(ミロク)が現れて五本十本となったのです。このことをよくわきまえなさい。


解説と補足説明

  • 」について:

    碧玉の巻 第10帖 (025)より

     岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時なのです。ナミの神が物【火(1)】の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもなのです。神界の十の卵(0~9を合わせた10の次元)を 現実界に八つ(8の次元のみを)生んで二つ残して行かれたのです。十二の卵を十生んだことにもなるのです。五つの卵を四つ生んだとも言えるのです。総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことなのですが、それでちゃんと道(道理)にはまっているのですよ。一ヒネリしてあるのです。天と地との間に大きなレンズがあると思えば段々に判ってくるのです。↓

     夫神、妻神が、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理は、判るでしょう。
     その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのですが、それが一方的であることは云う迄もないことでしょう。妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育てなさったのですよ。この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う(天と地が一体となる)時節が来たのですよ。うれしうれしの時代となって来たのです。
     同じ名の神が到るところに現われて来るのです。名は同じでも、天と地ではレンズにより正反が入れ替わり逆の数列になっている(下の図を参照)ように、はたらきは逆なのです。この二つの陰陽の神達(同じ名であるが働きは逆の「天の神達」と「地の神達」)がそろって、その中心を含めると三つとなるのです。陰と、陽と、その中心点にあるレンズのようなもの(光りが集まる所)の「三」が道ですと知らせてあるでしょう。
     時が来たのならば この千引の岩戸(中心の光)を倶にひらきましょうと云ってあるでしょう。


年月日

昭和三十六年五月十日
 旧三月二十六日(1961年)

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