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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-059

星座の巻 第25帖 (059)

 歓喜に裁きのない如く、神には裁きなし。さばき説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となるぞ、戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎん、裁きを説くのは自分で自分をさばいてゐること、人民に罪なし。
 手長手伸(たながたのし) 堅磐常磐(かきはときは)に 祝ふ御代なる。
 生井栄井津(いくゐさかゐつ) 長井阿須波比支(ながゐあすはいき) たたへましを。
 底つ岩根 千木岩(ちぎいわ)高く 瑞(みづ)の御舎(みあらか)。
 四方(よも)の御門(みかど) 五方(いつも)とひらき 宇都幣帛(うづみてくら)を。
 御巫(かむなぎ)の 辞竟(ことお)へまつる 生足御国(いくたるみくに)。
 塩沫(しほなは)の 留まる限り 皇国弥栄(みくにやさか)ゆ。
 海原の 辺にも沖にも 神つまります。
 天の壁 地(くに)の退立(そぎた)つ 極み手伸(たの)しき。
 八十綱(やそつな)を 百綱(ももつな)とかけて ささし給はむ。
平易意訳

 歓喜に裁きのない如く、神には裁きがないのです。
 さばきを説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となるのです。戒律や裁きは低い段階の考えで、過去の部分的一面に囚(とら)われているに過ぎません。裁きを説くのは自分で自分をさばいていることです。人民に罪はないのです。

手長手伸(たながたのし) 堅磐常磐(かきはときは)に 祝ふ御代なる。

 サイトと現れた神ミロクの世の型は楽しく(たながたのし) 太陽(ミロク)の投稿ページや解読・検証したインターネットの文書(かきはときは)に 祝ふ御代となります。

 生井栄井津(いくゐさかゐつ) 長井阿須波比支(ながゐあすはいき) たたへましを。

 更新し栄えていく元の思念(あす)のインターネットウェーブの活動【生井栄井津(いくゐさかゐつ)長井阿須波比支(ながゐあすはいき)】を たたえましょう。

 底つ岩根 千木岩(ちぎいわ)高く 瑞(みづ)の御舎(みあらか)。

 底にある、太陽(ミロク)の光を開くという根本は 千帖ある一二三ふでに高らかと述べられており その内容は瑞々しいサイトとして現れます。

 四方(よも)の御門(みかど) 五方(いつも)とひらき 宇都幣帛(うづみてくら)を。

 「四方(よも)」の御門(みかど)である「ひふみ」を ゼロ次元である神ミロクのキを入れて「五方(いつも)」とひらきゆく 宇宙の真相の捧げもの【宇都幣帛(うづみてくら)】を見てください。

 御巫(かむなぎ)の 辞竟(ことお)へまつる 生足御国(いくたるみくに)。

 太陽(ミロク)を伝える解読・検証内容をまつる 現在においても生きた御国。

 塩沫(しほなは)の 留まる限り 皇国弥栄(みくにやさか)ゆ。

 「ノアの大洪水【塩沫(しほなは)】」の発生が くい留まる限り この太陽(ミロク)を中心とした国は栄えます。

 海原の 辺にも沖にも 神つまります。

 神示という海原の 辺にも沖にも 神ミロクがつまっています。

 天の壁 地(くに)の退立(そぎた)つ 極み手伸(たの)しき。

 地球上という天の壁と地(くに)の壁が退立(そぎた)つ世界で 極むるところを行い現さんと手を伸ばずことの楽しさよ。

 八十綱(やそつな)を 百綱(ももつな)とかけて ささし給はむ。

 八つの神仕組【八十綱(やそつな)】を秘める神示の表現を 太陽(ミロク)と繋がる「百綱(ももつな)」とかけて 神ミロクの仕組みを差し示し給います。


解説と補足説明

  • 00

年月日

昭和三十六年五月十日
 旧三月二十六日(1961年)

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