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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-063

竜音の巻 第04帖 (063)

 〇(霊)界と申しても神界と幽界に大別され、又神界は天国と霊国に分けられ、天国には天人、霊国には天使が住み、幽界は陽界と陰界に分れ、陽霊人、陰霊人とが居る、陽霊人とは人民の中の悪人の如く、陰霊人とは善人の如き性をもってゐるぞ。高い段階から申せば善も悪も、神界も幽界もないのであるが、人民の頭で判るように申してゐるのであるぞ。幽界は本来は無いものであるが、人民の地獄的想念が生み出したものであるぞ。
平易意訳

 〇(霊)界と云っても神界と幽界に大別され、又神界は天国と霊国に分けられ、天国には天人、霊国には天使が住み、幽界は陽界と陰界に分れ、陽霊人、陰霊人とが居ます。陽霊人とは人民の中の悪人の如く、陰霊人とは善人の如き性をもっているのです。
 高い段階から云えば善も悪も、神界も幽界もないのですが、人民の頭で判るように言っているのです。
 幽界は本来は無いものですが、人民の地獄的想念が生み出したものなのです。


解説と補足説明

  • http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/sunmoon/50_04_dragon/dragon_04_063.htm
    より
     
    太陽さん

    説明していることは下記のようです。

    霊界━┳━神界━┳━天国━天人
       ┃    ┗━霊国━天使
       ┗━幽界━┳━陽界━陽霊人━悪人の性質
            ┗━陰界━陰霊人━善人の性質

    霊格の高い存在が見下げて見る--->幽界は無い
    幽界は有る<---地上人が見上げて見る
    幽界は本来は無くて、地上人の地獄的な想念の産物

    幽界での陽は地上界では悪に、陰は地上界では善に、反転して見えるところが面白いところです。
    (-*-=+、-*+=-ということでしょう)
    また、天人と天使と分離されていますが、帖によっては天人天使と繋いで用いているところがあります。
    これは見る立場によって(記載内容によって)、霊格の高い存在には区別がなくて「天人天使」になり、地上人にとては「天人」と「天使」なるようです。
    この帖が重要なところは他の帖でこれらの語彙が幾つも使われていますが、そこでの説明はありませんので、霊界の基本知識として承知していなければ成らないということだと思います。


    ロックさん

     この現実界に反映されている状況の内容として太陽さんの解説はわかりやすいものですね。私は出来る範囲の考察を出来たらとおもいます。

    ●幽界は本来は無いものですが、人民の地獄的想念が生み出したものなのです。

     この辺りの状況は、宗教での地獄に関する教えなどが反映されているのではと思います。岩戸閉めの一つの成果でしょうか。それらも高い段階からの存在に言わせると、どっちもどっちか、似たような世界となるのかも知れませんね。

    ●陽霊人とは人民の中の悪人の如く、陰霊人とは善人の如き性を持っています。

     この辺りは、悪人と現実界で呼ばれる存在の世渡りの上手さや、善人と呼ばれる存在の世渡りの下手さはある意味で反映しているのかも。悪人は、現実界で悪いことしていても、さわやかなイメージ戦略でやりくり出来ちゃうのは霊的に陽霊だから?実際には存在しない幽界が絡むから、来るべき時には存在は無くなるのは決定的?そういう意味では悪の御用というのははまり役?!


    金太郎さん

    太陽さんの説明はとてもわかりやすいので細かな説明は省略させて頂きます。天人や天使にはアオウやエイの言葉があると地震の巻や星座の巻で書いてありましたが、幽界の方々にはどのような言葉があるのでしょう?霊界というのは、その人に一番合った場所に行くようになってますので、他の方から見れば地獄だと思っても、当の本人にはそこは天国だと思えば地獄ではない仕組みになってます。ですから、「幽界は本来は無いものであるが、人民の地獄的想念が生み出したものであるぞ。」となります。


年月日

昭和三十六年八月三日
 旧六月二十二日(1961年)

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