本文へスキップ

フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-095

極めの巻 第17帖 (095)

 今迄の、のがれ場所はヤマであったが、今度はヤマに逃げても駄目、カミの御旨の中であるぞ、山に移りて海に入れよと申してあろう、今度のことぞ。
平易意訳1

(解釈①)
 今迄の、のがれ場所は山【ヤマ】であったが、今度はヤマに逃げても駄目。カミの御旨の中でそうなっているのである。山に移って海に入れよと云ってあるでしょう。今度のことです

http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/sunmoon/50_05_master/master_05_095.htm
 

平易意訳(『終末と太陽の検証サイト』より)

今迄の「都市攻撃」と「ノアの大洪水」から逃れる場所は山であったが、今度は山にだけ逃げても駄目です。
神サタンの御旨・計画の中でそのようになっているのです。
まず、都市攻撃から逃れる為に山に移りなさい。
それから、「ノアの大洪水」から逃れる為に船で海の沖合へ逃げるようにしなさい。
今度の「ノアの大洪水」は特別です。
都市攻撃からは山に逃げるくらいで十分であったが、山々の頂きをも飲み込む超巨大なものになるので、そのまま山にいても逃げられません。
今度のビックリ箱、岩戸が開くことから逃れようとすると、「そのように逃げるしかないのです」を指摘しているのです。


平易意訳2

yuru63:2013/08/29 
(解釈②)
 今迄の「都市攻撃・ノアの大洪水」の逃れ場所は山(ヤマ)であったが、今度は山(ヤマ)に逃げても駄目、カミの御旨の中つまり神人となることが逃れることなのです。山に移って神界(海)に入れよと云ってあるでしょう。今度の岩戸開きのことです。

解説と補足説明

  •  今迄の「都市攻撃・ノアの大洪水」は太陽達の救済処置がなかったため山に逃げることのみでしたが、今度の岩戸開きにおいては、天の神の御旨と統一している(神界の運行に通づる)身魂となるという道を用意しています。これも救援の仕組の一つということの様です。
     「5-2 天使達の救援」の「天使達は 善良な子羊の人類も救おうとしている」内容と同じことを別の側面から云っているのかもしれません。
    (参照記事)
    http://2288010.blog.fc2.com/?mode=m&no=42
    より引用

     ーーーーーーー
    「海」は「アマ」と読め、「深海」もまた「神界」と読めるわけです。
    日本には「天の○○の神」と呼ばれる神様が沢山おられますが、
    これ「海の○○の神」とも読めるのですね。( -ω-)ウンウン
    という事は、ポニョは「アマノポニョノカミ」(無茶なw)という事になり、
    また、そのポニョが人間になる事で世界の綻びが綴じられるという事は、
    「神が人間になる」事で世界の綻びが綴じられるという意味になるのですから、つまり「神人」となれば世界の綻びが綴じられる。と読めるわけです。

    とまぁ、崖の上のポニョの「一厘のてだて」とはこのように読めるわけで、日月神示のいう「神人とならねば生きては行かれんのぢゃ」とよく似ている事に気付きます。
    ーーーーーーー

  • 〇十sun(010203)さん:(2013/09/01)
    私の感想
    宮崎作品は結構観ていますが、ポニョはまだでした。テレビで放送されれば録画したいですね。
    先日はうちの子供の録画したラピュタを見入ってしまいました。これで通算五回は見たでしょう(笑)。

    「山」は世界にある5000の経典等の教えのページ数を高さに見立てたこと、聖職者の組織図を高さに見立てたのかもしれません。
    「海」は一二三(みろく原理)の中心点である海の巻を連想させることから、5000の山の教えに中心点を入れなさいということかもしれません。


年月日

昭和三十六年八月五日
 旧六月二十四日(1961年)

>>戻る