今迄の、のがれ場所はヤマであったが、今度はヤマに逃げても駄目、カミの御旨の中であるぞ、山に移りて海に入れよと申してあろう、今度のことぞ。 |
(解釈①)
今迄の、のがれ場所は山【ヤマ】であったが、今度はヤマに逃げても駄目。カミの御旨の中でそうなっているのである。山に移って海に入れよと云ってあるでしょう。今度のことです
平易意訳(『終末と太陽の検証サイト』より)今迄の「都市攻撃」と「ノアの大洪水」から逃れる場所は山であったが、今度は山にだけ逃げても駄目です。 |
yuru63:2013/08/29
(解釈②)
今迄の「都市攻撃・ノアの大洪水」の逃れ場所は山(ヤマ)であったが、今度は山(ヤマ)に逃げても駄目、カミの御旨の中つまり神人となることが逃れることなのです。山に移って神界(海)に入れよと云ってあるでしょう。今度の岩戸開きのことです。
今迄の「都市攻撃・ノアの大洪水」は太陽達の救済処置がなかったため山に逃げることのみでしたが、今度の岩戸開きにおいては、天の神の御旨と統一している(神界の運行に通づる)身魂となるという道を用意しています。これも救援の仕組の一つということの様です。
「5-2 天使達の救援」の「天使達は 善良な子羊の人類も救おうとしている」内容と同じことを別の側面から云っているのかもしれません。
(参照記事)
http://2288010.blog.fc2.com/?mode=m&no=42
より引用
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〇十sun(010203)さん:(2013/09/01)
私の感想
宮崎作品は結構観ていますが、ポニョはまだでした。テレビで放送されれば録画したいですね。
先日はうちの子供の録画したラピュタを見入ってしまいました。これで通算五回は見たでしょう(笑)。
「山」は世界にある5000の経典等の教えのページ数を高さに見立てたこと、聖職者の組織図を高さに見立てたのかもしれません。
「海」は一二三(みろく原理)の中心点である海の巻を連想させることから、5000の山の教えに中心点を入れなさいということかもしれません。
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