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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-106

至恩の巻 第08帖 (106)

 ナギ、ナミ夫婦神は八分通り国土を生み育てられたが、火の神を生み給ひてナミの神は去りましたのであるぞ。物質偏重の世はやがて去るべき宿命にあるぞ、心得なされよ。ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれたのであるぞ。妻神に去られたナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ、妻神を訪れ給ひ、相談されたのであるなれど、話が途中からコヂレて遂に別々に住み給ふ事となり、コトドを見立てられて千引の岩戸をしめ、両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのであるぞ。
平易意訳

 ナギ、ナミ夫婦神は八分通り国土を生み育てられましたが、0の神ではなく火(1・物)の神を生み給いてナミの神は去りましたのであります。
 物質偏重の世はやがて去るべき宿命にあるのです。心得なさい。
 ナミの神はやがて〇(ゼロ)のない、異(九と)答(十)の世界に住みつかれたのです。
 妻神に去られたナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給い、妻神を訪れ給い、相談されたのですが、話が途中からコヂレて遂に別々に住み給う事となり、行いにおいて双方が相容れない壁【コトド】を見立てられて千引の岩戸をしめ、両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのです。


解説と補足説明

yuru63:2013/07/23
 神界の話の様ですが、今の世(地上世界)の状況を物語っている様にも思えます。
 今の世(地上世界)が存在すると同時に神界にも映しが存在するという理がありますので、この帖に書かれているような神界の状況というものが存在するのかもしれません。


年月日

昭和三十六年九月一日
 旧七月二十二日(1961年)

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