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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-120

五葉の巻 第06帖 (120)

 仕事はいくらでもあるではないか、七つの仕事があるぞ、七人のかへミタマあると知らせてあろうがな、高く昇らねば遠くは見えん、目の先ばかり見ているから行きつまるのぢゃ、道には落し穴もあるぞ、心得て、仕事に仕へまつれよ。岩戸はひらかれてゐるのに何してゐるのぞ、光がさしてゐるのに何故背を向けてゐるのぞ、十の仕事して八しか報酬ないことあるぞ、この場合二は神にあづけてあると思へよ、神の帳面あやまりなし、利子がついて返って来るぞ、まことのおかげはおそいと申してあろうがな。
平易意訳

 太陽(ミロク)の手足としての仕事はいくらでもあるではないですか。七つの仕事があるのです。七人のかえミタマがあると知らせてあるでしょう。高く昇らねば遠くは見えません。目の先ばかり見ているから行きつまるのです。道には落し穴もあるのです。心得て、仕事に仕えまつりなさい。
 『太陽の文(ふみ)』により岩戸はひらかれているのに何しているのですか。太陽(ミロク)の光がさしているのに何故背を向けているのですか。十の仕事をして八しか報酬のないことがあります。この場合二は神にあずけてあると思いなさい。神の帳面はあやまりなしです。利子がついて返って来るのです。まことのおかげはおそいと云ってあるでしょう。


解説と補足説明

yuru63:2013/06/22
 「岩戸はひらかれてゐる」と云っていますが、「世紀末研究報告」の内容を知らねば何でひらかれているのかが分かりません。この様に、天明氏に降りた昭和三十六年の時点の様子でなく、時空間を超えた通信を行っているということが伺えます。


年月日

昭和三十六年九月一日
 旧七月二十二日(1961年)

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