岩戸ひらき 御祷(みほぎ)の神宝(たから) たてまつらまし。 月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はちの色となるぞ、流れもちぢゃ。人民四つん這(ば)ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、大地震、ヒの雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。 |
岩戸ひらき 御祷(みほぎ)の神宝(たから) たてまつらまし。 |
岩戸ひらきです 御祷(みほぎ)の神宝(たから)を たてまつりましょう。
月は赤くなるのです、日は黒くなるのです、空は ち の色となるのです、河の流れも ち
の色です。
人民は四つん這(ば)いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのですよ。大地震、ヒの雨降らしての大洗濯ですから、一人のがれようとて、神でものがれることは出来ないのです。天地まぜまぜとなるのです。ひっくり返るのです。
解説と補足説明太陽さん月のハナシ「神々の謎」 ひとつの古代神話から編まれたふたつの記紀神話、古事記と日本書紀は異なったところがある。また政治基盤の確立の為に編まれた日本書紀はちょっと考えられない、変わったところがある。 ***************** 別称:天照国照彦火明櫛玉饒速日命(アマテルクニテルヒコホアカリクシタマニギハヤヒノミコト)、邇芸速日命 饒速日尊が天上の神から授かった職能は、古代の呪術を司るという役目である。 |
http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/
sunmoon/vocabulary12.htm
より
B語彙アラカルト NO 12その「ひふみ神示」の中で不明な語彙でも、他の神示の中で説明がしてあ るか、用法から自ずから意味がわかるものの検討の続きです。 「ひふみ神示」には「宝」と「神宝」の語彙が幾つか見受けます。これらの語彙について検討してみます。「宝」と記載されると、普通の人達は金銀財宝・ダイアモンドなどの貴金属・お金 (通価)・株券や国債などの証券・土地などの不動産をイメ-ジします。しかし、「ひふみ神示」で記載されている「宝」とはそのようなものと一切関係がないのです。「ひふみ神示」では金銀財宝・ダイアモンドなどの貴金属などは元素の特殊な形態の物質でしかありませんので神界へも霊界へも持っていけません。「三途の川」の渡し賃にもならないのです。ましてや、人間世界でのやりとりの結果としての貴金属・お金 (通価)・株券や国債などの証券・土地などの不動産は話になりません。従って、「ひふみ神示」から「ソロモンの秘宝」などとい金銀財宝・ダイアモンドなどの貴金属のようなものはイメ-ジする事自体が無意味であることです。 そうなると、「ひふみ神示」は何をもって「宝」と云っているのか?が問題になります。結論を先に云えば、乙姫が持っているという所の「宝」を除けば、その姿を見ることができません。なぜなら、その「宝」の全てが特定の目的を達成する為の情報であるからです。分かりやすい例えで云いますと、「都市攻撃」の時の「避難の情報・知識」を「ひふみ神示」では「宝」と云っているのです。何故かといえば、「都市攻撃」をしている相手に、金銀財宝・ダイアモンドなどの貴金属などを見せて命乞いなどしても相手にしてくれないのです。相手にとってはそれらは単なるガラクタに過ぎないですし、お金 (通価)・株券や国債などの証券に至っては人間世界でしか通用しない紙屑で、土地などの不動産は邪魔だから破壊して地球表面をお掃除しようとしているのです。そんな状況のときに、そんなに重たいものを担いで逃げるより、その重さだけの食料を持って逃げるのが先決というものです。どうせ、薪 (焚き火のマキ)にもならなくなるのですから・・・・では、その時の「真の宝」はというと「避難の情報・知識」に基づいた「生き残り策」なのです。皆さんは「宝探し等でない宝をセッセセッセと集めていた」というわけです。もっとも、皆さんが、宝を集めていたなんてことを理解・認識していたかはわかりませんが・・・これで、気がつかれたと思いますが、「金銀財宝・ダイアモンドなどの貴金属・お金 (通価)・株券や国債などの証券・土地などの不動産」をイメ-ジした「宝」とは人々の不公平を作り支配体制を維持したりする為に人間 (正確には神サタン)間に置いてのみ通用する宝と称する物体や権利にすぎないのです。もっとも、キラキラとするダイヤモンドが欲しいというかたはその時はただで沢山もらえるでしょうから、全身を数百キロのダイヤモンドでキラキラ・ピカピカに飾れば良いとおもいます。そういえば、NHKの紅白歌合戦で電球をちりばめた服をきて、ピカピカ・キラキラとさせた歌手がいたそうですが、それがこの範疇にいるのかは分かりません。それはともかくとして、身動きが出来ずに、おたおたしているのを見た周りの人々から「ば~か」と笑われるだけでしょうが・・・・ 従って、「ひふみ神示」で云うところの「宝」は頭の中の知識としては持つことができますが、具体的な荷物として持つことはできません。もっとも、覚えられない方は「パソコンのCD」などにして持ち運べは少しの荷物にはなりますが・・・その内にバッテリ-も無くなって、結局は頭の中に残っている記憶のみとなります。そのような観点から、「宝」の語彙が記載されている帖は読まれると良いでしょう。 「宝」の語彙が記載されている帖を読んでいくと「---世界中の至る所に宝を埋めてある---」と云う様な説明があります。この場合は次ぎの二通りがあります。 1. 古文書の記録として壁や粘土板のようなものに、内容が記載されている場合 日本の場合、この「ひふみ神示」や各宗教の教典の中などに記載されています。特に、宗教がらみの場合、その教典を執筆している人間が知らない内に「お筆書き・自動書記」させられて、預言めいたものなどを書記させられていた考えられます。なぜなら、神は人間の身体を使ってしか教典の内容を記載することが出来ないからです。従って、「諸世紀」であれ「ひふみ神示」であれ、他のあまたの教典の中には、ひふみの神が云うところの神達が、至る所に記載させて埋め込んでいますので、その宝を掘り起こして解読に使えば良いことになります。いわゆる「お筆書き・自動書記」と呼ばれるもので記載されたもので、意味の分からない語彙や意味は他の聖書・教典・仏典・神話・伝説に埋め込まれている「宝=内容の説明」を見つけて掘り起こし使えばよいことになります。 (ただ、問題なのは宗教の教典などですと、いかがわしいと思うところもありますが、後世まで書き込み埋め込んだ情報が伝わらなければなりませんので、どうしても宗教の教典や神話などに埋め込むのはやむを得ないことと思っています。)私の解読しているものは分からなくなると、他のこれらの太古~現代に至る情報源のなから探しだし掘り出しています。現に、ひふみ神示を解読するのにも、これらの情報源を使っていますし、その埋め込まれた情報を数多く掘り返していると、埋め込まれた情報のリンク・構造のようなものが浮かび上がってくるようになります。 「宝」の中でも特別のものを「神宝」と表現して記載してある所があります。それほど数は多くありません。ただ、神宝と宝の意味合いは大きくことなります。 三種 (みくさ)の神宝 (かむたから)~玉とは御魂 (おんたま)ぞ、鏡とは内に動く御力ぞ、剣とは外に動く御力ぞ、 「宝」第三巻 富士の巻 第二十七帖 (107) 第五巻 地つ巻 第三十五帖 (172) 「神宝」第三巻 富士の巻 第三帖 (83) 「御祷の神宝」:御祷 (みほぎ)の神宝 (たから)五十黙示録補巻 紫金の巻 第五帖 (135) |
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