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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

予言・預言の検証編太陽の検証

一二三50-143

紫金の巻 第13帖 (143)

 少しでも交じり気があったら先になって取り返しがつかんことになるぞ、今度は一厘の【くるひ】があってもならんぞ。柱になる人民もあれば屋根になる人民もあるぞ。天の王と地の王とをゴッチャにしているから判らんことになるのぢゃ、その上に又大王があるなれど大王は人民には見当とれん、無きが如き存在であるぞ。人民は具体的にと申すなれど、人民の申す具体的とはコリ固った一方的なもの、一時的な その時の現れであるぞ。人民の申す絶対無、絶対空は無の始めであり、空の入口であるぞ、其処から無に入れよ、空に生きよ。いよいよの代(よ)となるぞ。
平易意訳

 少しでも交じり気があったら先になって取り返しがつかないことになるのです。今度は一厘の【くるい】があってもならないのです。
 太陽(ミロク)の仕組の推移の為の柱になる人民もあれば屋根になる人民もあります。
 この神示を読む(解読する)ときに天(神界で)の太陽(ミロク)【王】と地(現界で)の太陽(ミロク)【王】とをゴッチャにしているから意味が判らないことになるのです。その上に又この度の大岩戸開きを統括・運行し支えている大王があるのですが大王は人民には見当とれません。人民にとってみれば認識不能なので、無きが如き存在であるのです。
 人民は具体的にと言うのですが、人民の言う具体的とはコリ固った一方的なものです。一時的な その時の現れなのです。
 人民の言う絶対無、絶対空と思える世界(処)はまだまだ無の世界の始めの段階の認識世界であり、空の入口なのです。其処から「無」というものの理解に入りなさい。空に生きなさい。
 いよいよの代(よ)となるのです。


解説と補足説明

yuru63:2013/05/13
 解読や読み方に際しての注意書きがあります。
 「無の世界」=「天界」とすると、その世界にも王(太陽的存在)がいて、
この神示は現実世界の王(太陽)のみでなく天界の王も説明しているのでしょうか。


年月日

昭和三十六年
00

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