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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三506

海の巻 第14帖 (506)

 何も分らん枝葉の神()に使はれてゐると気の毒出来るぞ、早う其の神()と共に此処へ参りて、マコトの言(こと)を聞いて誠に早う立ち返りて下されよ、 〇九十(マコト)とは 〇一二三四五六七八九十であるぞ、一二三四五六七八かくれてゐるのざぞ。縁あればこそ、そなた達を引寄せたのぢゃ、此の度の二度とない大手柄の差し添へとなって下されよ、なれる因縁の尊い因縁をこわすでないぞ。見て見よれ、真っ只中となりたら学でも智でも金でもどうにもならん見当取れん事になるのぢゃ、今は神()を見下げて人民が上になってゐるが、さうなってから神()に助けてくれと申しても、時が過ぎてゐるから時の神()様がお許しなさらんぞ、マコトになってゐれば何事もすらりすらりぞ。八月二十三日、一二
平易意訳

 何も分らない枝葉の神に使われていると気の毒なことが出来ます。早くその神と共に此処へ参りて、太陽達のマコトの言・光答(こと)を聞いて誠に早く立ち返って下さい。 ○九十(マコト)とは 〇一二三四五六七八九十であるのです。一二三四五六七八の神ミロクの仕組が かくれているのです。
 縁あればこそ、そなた達を引寄せたのです。此の度の二度とない大手柄の差添へとなって下さいよ。なれる因縁の尊い因縁をこわしてはいけません。
 見ていてみなさい。真只中になったら学でも智でも金でもどうにもならない見当取れない事になるのです。今は神ミロクを見下げて人民が上になっていますが、そうなってから神ミロクに助けてくれと言っても、時が過ぎているから時の神様がお許しなさらないのです。誠・マコトになっていれば何事もすらりすらりです。
 八月二十三日、一二


解説と補足説明

  • yuru63:2017/09/16
     マコトは「〇九十」と表せる様です。
     「〇」はゼロであり、見えない処・意識・神…の意味がありそうです。
     「九十」はコト・言・光答・行い・事…そして〇 九十と表せば一二三四五六七八が隠れている状態となります。
     「一二三四五六七八」については「一二三ひふみ 三四五みよいづ 五六七みろく 七八なりひらく」の様な仕組がどこかの帖で記載されていたと思います。


年月日

昭和二十二年八月二十三日
 旧閏七月八日(1947年)

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