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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三507

海の巻 第15帖 (507)

 学や智や金がチラチラ出る様では、マコトが磨けては居らんのぢゃ、今の法律でも、教育でも、兵隊でも、宗教でも、この世は建直らんぞ、新しき光が生れて世を救ふのぢゃ、新しき光とはこの神示ぢゃ、この神()ぢゃ。七つの花が八つに咲くぞ、此の神示八通りに読めるのぢゃ、七通りまでは今の人民さんでも何とか判るなれど八通り目は中々ぞ。一厘が、かくしてあるのぢゃ、かくしたものは現はれるのぢゃ、現はれてゐるのぢゃ。何でもない事が中々のことぢゃ、判りたか。八月二十三日、一二
平易意訳

 学や智や金がチラチラ出る様では、マコトが磨けてはいないのです。今の法律でも、教育でも、兵隊でも、宗教でも、この世は建直りません。新しき光が生れて世を救うのです。新しき光とはこの神示(太陽達の示し・検証)です。この神(ミロク)です。
 七つの花が八つに咲きます。此の神示八通りに読めるのです。七通りまでは今の人民でも何とか判るのですが、八通り目は中々判らないのです。
 一厘が、かくしてあるのです。かくしたものは現われるのです。現われているのです。
 何でもない事が中々のことです。判りましたか。
 八月二十三日、一二


解説と補足説明

  • yuru63:2017/07/16
     「現れている」ものは、例えば予言の検証として現れているのでしょうか。一厘の予言が隠されており、時が来れば現れるという状態なのかもしれません。


年月日

昭和二十二年八月二十三日
 旧閏七月八日(1947年)

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