『神の数学サイト』証言例11月の記より

http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/syougen2.html

「ひふみ…天地の数歌」が歌う“真理の歌” (10)
                              
2011年11月謹んで上載

今や「神の数学」の矢は放たれ秘められた宇宙理の真実が開示されつつあるのである。
時代は旧来の物質文明から次の精神文明に移行しつつある時であり、
明らかにすべての流れが変わりつつあるのが今である。
すべては流れ流れてすべてはシンプルに進み、
意識の輝きが目を覚ます時である。
「神の数学」がその兆しであり、
大いなる目覚めでもある。
それは「宇宙普遍の真理の鏡」として
この二十一世紀における限りない叡智を追求しながら
人類の大いなる「知の金字塔」として
永遠に輝き渡るであろう。


現在、人類の未来を決める「神のサイコロ」は我々日本人の手に握らされ、どう使うべきかをの判断を任されているような感じがする、もう少し経てばよく分かるはずである。そう言えば、世界の国々の識者達が日本に期待する声は年々高まってきていることを知ってほしい。その始まりはアインシタインの予言である。それはすなわち、「世界の文明はアジアに始まり、アジアに戻る。最後にはアジアの高峰、日本に戻って行くのである。我々は神に感謝する、我々に日本と言う尊い国をつくっておいてくれたことを」…。

まさに我々を勇気づける言葉であり、将来の日本の重みを感じさせる言葉である。

確かに今は日本が世界を必要としている以上に、世界は日本を必要としているのであり、期待感をもって日本の一挙一動を見つめているのである。日本、それはあなた方が思っている以上に素晴らしい国なのである。そのあたりを少しは知っもらいたい。
 そんなことがあるはずがないと我々が思えば、それはするりと手の中から抜け出して他の民族、あるいはその国の下で花を咲かせて歴史を飾ることになる。それが歴史である。そのあたりを考えてつくづく歴史を顧みれば色々と思い当たることが多いはずである。

一つ、今の歴史にはない「時代の背景」と現実から見た「真実の歴史」を申し上げよう。

日本は紀元の前後あたりに大陸からの軍隊(敗残兵?)によって完全占拠されたのであるが、その事実は伝わることなく歴史の主(時代の権力者)に消され失われてしまったのである。今ではその事実は誰も知らないし、知ろうとする者もしない。別に私の創作などではなく、この事実、すなわち、大陸勢の占領支配の存在は『日本書紀』天智天皇関係の書によりはっきり記され証明されているものである。しかし、それについては日本の歴史家達は何も言わない、調べることさえ何かこだわっているのである。何ゆえにであろうか…?!。
 要するに、これらの恐るべき力が日本の古代文字を抹殺し、奈良時代以前の古代歴史を消し去り封印してしまったと言うことである。彼等は日本占領と共にそれまであった文化、文物、古代からの歴史的な伝承記、国記などのすべてを強制的に集め火の中に投じ、燃やしてしまったのである。それは秦の始皇帝に始まる焚書坑儒と言われる悪癖をそのままを引き継いだ行為そのものであり、どうしてもそこには大陸性の悪癖の存在が明らかな形で見えるのであるが、それらの背景については誰も口にしない…。

当時の歴史の背景から考えると、どうしても大陸からの侵略軍の影が見て取れるのである。

その失われた歴史の中には神武天皇以前の史、72代にわたる「ウガヤフキアエズ朝の存在」、「神代文字」、「超古代文献」、あるいは日本の知の誇りである「古神道」などの全般の伝統の知の類であり、すべては問答無用とばかり焼却の憂き目にあい、そこで完全に歴史は断ち切られ、失われてしまったのである。要するに、そこで世界史上最も長かった一万三千〜一万五千年の歴史ある縄文文明及び彼等が奉じていた由緒のある「古神道(縄文神道)」は姿を消してしまったのである。無理もない、彼等大陸人達の故郷、大陸では征服した王朝が甦ることを恐れ、その文化文物や建築物、思想などはすべて破壊し、粉々に打ち砕いて捨て去るのが常であり、習慣であったことを考えると…。 歴代の皇帝のお墓さえもあばかれて放擲されて失われて何も残されてはいないと言われている。
 故に中国には歴史の長い割には歴代前王朝の遺品、建物、墳墓は殆ど残っていないのである。例えば、始皇帝の墓などもそのことを恐れ完全に隠され、今でも遥としてその行方が知れないのである。そのあたりから考えるとすべては筋が通り、頷ける話である。

なかんずく、侵略者は卓越した知を持つ「神道」を恐れるあまり大変厳しく追及し、その存在を許さなかったはずである。彼等は特に厳しく詮議し長く追求したであろうことは大陸民族の当時の慣習や人間性から見てもよく解り、肯定できるものであろう。
 そのあたりの事情は2次世界大戦後のアメリカ占領軍を見ればよく解る。確か、彼等は神道禁止、神道追放を強く叫んで一気に「神道指令」を出し、日本の心、すなわち、神道の根絶を計ったのである。しかし、心の中までは立ち入ることは出来ず途中で沙汰やみになり、かろうじて生き残ったのである。そのあたりの経過歴等は今だあなた方の胸にもしっかり残っているはずである。

恐らく、同じような状態の中で古代の祖達は強い圧力、追求を恐れるあまり、由緒ある神道を知恵をしぼって侵略者達には判らないように言葉の中に密かに隠し守り通そうとした…、それが「祝詞」や「言霊」と言う隠された言葉の成り立ちの原因であろう。それはそのあたりの事情を知らぬ者、すなわち、大陸系の血をもつ者達には決して解き明かすことは叶わないものである。それが大切な日本人の心を秘めた「言霊」として今でも大衆の中に息づき、古代縄文の心を持つ者の心に囁きかけているのである。

参考@ <自然人類学者の埴原和朗東大教授の調査研究によると紀元前300年から紀元後700年までの1,000年間の日本の人口増加率は世界のどの民族に比べても異常に高く、自然増加だけでは到底説明がつかず、海外からの渡来者という要素を持ち込まざるを得ない。その比率は日本民族1に対して渡来人25、少なく見積もっても1:9となる逆転した数字になると言う。当時、ものすごい勢いで日本列島へと大陸の戦乱難民が流れ込んで来たことが推測される。>

 参考A<縄文晩期、紀元前200年あたり、異民族の王の始皇帝が中国統一を果たした、その時何千万の人々が家を追われ,国を追われて国外に逃れた。また、同様な戦乱が僅か在位12年で始皇帝が没した後再び起き、数千万の人々は虐殺を恐れて国から逃げ出したのである。当時、始皇帝をはじめ人々は日本を神仙の国として慕っていたと歴史は言う。 すると当然敗残将達の行く先は判るであろう。彼の地から日本までは黒潮に乗れば割合簡単に来れる、しかし日本から彼の地までは潮の流れが逆なので行くのは困難である。しかし、それについても歴史家たちは何も言わない…!?。>

 参考B 超古代文書には次のように記されている。「神武即位から566年目(BC95年)第10代崇神天皇は新都三輪を侵入軍に明け渡し、巻向川北岸の穴師に移られた。その後彼等占領軍は中国や韓国から学者を大勢呼び寄せて支配階級制度を作り上げた。朝廷その他の公用文にはすべて漢字が使用されて神代文字の日本文化は抹殺されてしまった。漢字を知らない者達はは奴隷とされ「奴」と呼ばれる最低の身分に落とされた」と。……「神代の万国史」より

超日本古代におけるほんとうの「歴史的な真実」とは次のようなものである。

(1) 第一番に挙げられるのは「魔方陣」であろう。本来、それは古代日本に起源を持ち、その原型となるものが現在「神の法陣(ひふみ法陣)」と呼ばれている「自然方陣」の妙なる姿なのである。その中には誰も知らない天地自然の「運行原理」が整然とした方形の形の中に封印されているのであり、それはただ一つの言葉、すなわち、古神道の祝詞「ひふみ…天地の数歌」によってのみその意味が開封され「神の心(法則)」が明らかになると言う曰(いわ)くつきのものなのである。
 今から約四千数百年前、中国から日本に留学していた伏儀が「易」と「薬学」等を学んで持ち帰り、それをその後数百年かけて研鑽改良したもの、それが中国易と呼ばれているものである。それらの事情仔細はまさに古代文書の「竹内古文書」の万国史に記載されている通りのものである。しかし、実際彼等が学んだものは本物ではなく、まがいもの、あるいは口頭による単なる言葉の説明だけと考えられる。その事実を証する本当の「古の秘宝方陣」、すなわち(n×n)の方陣がここに記されているものであり、今あなた方の目の前に鎮座している「神の法陣」なのである。それらはすべて祝詞「ひふみ天地の数歌」を用いて編まれたものであり、その経緯、その仕組みは少々考えれば誰にでも簡単に分かるものである。後日、その仔細一切、仕組み一切ををここに載せるつもりでいる。

よく考えて見るがいい、権力者が大切に秘蔵伝承、すなわち、代々伝わる宝物を果たして他国の者にやすやすと渡すであろうか、それは常識で考えても少々無理なものであろう。

(2) 更には「九九算」である、これも超古代日本から流れて大陸に渡ったものである。確か、明治の頃、日本と中国の学者達が会議の時に「九九算」はどちらに起源を持つかについて話し合ったと記録にある。その時日本で発見されたものよりも中国の奥地の乾燥地帯で発見された木片のものの方が古かったので中国起源と決定されたと書には記載されている。しかし、方や名だたるモンス−ン湿気帯、かたや砂漠のようなところである。そのあたりの湿度や腐敗度の考慮は一切考えずに簡単に結論が出されたのである。当時の日本の学者達はあまりそのような枝葉にはこだわらず、簡単に決めてしまったと思われる。
 <それらの事実を記した厚さ200ぺ−ジくらいの小冊を読んだ覚えがあったのであるが、残念ながら題名を忘れてしまった、どなたか、心当たりがある方は教えて戴きたい。割合。小柄な薄い単行本であったのは確かではある。>

(3) 現在、あなた方は中国発の「気功」を歴史ある中国の文化の遺産であるとこぞって称賛しているが、とんでもない、あなた方はいいように騙されているのである。すべてはマスコミの不見識が生んだ錯誤、無知蒙昧から始まった大虚言が始まりである。真実は次の通りである。時は明治の頃、日本から大勢の霊術者と称する人達が大陸に渡り持っている術を教えながら活動したのである。その後それを学んだ中国人達が古代中国発として構えたもの、それが今の気功の原形となったものである。 その証拠に気功と言う言葉が生まれたのは今からわずか50年前であり、その前にはそのようなものは一切なかったのである。中国には数多の王朝交代があり、その際、すべての先代王朝の伝承物の類は破壊放擲され、たとえ「歌」の類でさえも一切禁じられたと言われているのである。すなわち、すべの危険な言葉や思想類は厳しく禁じられ残されることは決してなかったのである。そこから推して考えても十分に分かることであろう。要するに、出来る限りその時代の背景から考えるて見ることであり、常識を生かすことが大切なのである。
 また、その当時、明治の霊術者の中には西洋に渡って術を広めた者もいた、それが現在西洋世界で名を馳せている「レイキ(霊気)」と呼ばれ、日本発のものとして欧米を中心とする海外で認知度が高いものである。それはまさに気功と全く同じものである。一つ、このあたりで一考を促したい。  <内容参考文献…「新霊術家の饗宴」井村宏次著>

(4) それらの好事例が最近起こった新幹線事件であろう。日本に散々頼み込んで新幹線の諸技術、及び建設技術関係を手に入れたはずなのであるが、何のこと、すべては中国人達の頭脳が編み出したテクニカル・マシンと位置付け、あつかましく特許を申請し諸外国に輸出を始めようとしたことはまだ記憶には新しいはずである。要するに、すべては自国で開発し、自国の頭脳で作り上げたものとして自国民達に教育し宣伝したので彼達中国人一般は頭からそう思っているだけであり、そう信じているだけなのである。

ただ今回の件は10年も経たない短兵急なものであったので、さすがの人のいい日本人も我慢ならずに怒り出している、これが真実であることは今なら、よく分かるであろう。とにかくご用心、ご用心…!!。

確か、荘子の著した中国の古い書物の中に「邯鄲の歩み」と言う話があったと記憶している。その骨子内容は「自分の本分を忘れて他人の真似ばかりしているとすべてが中途半端になって両方とも失ってしまう」と言うものである。まさにその通りの事実が今起こっているのである。中国はその自分たちの祖の言葉をもう少し噛みしめるべきではないのか…。

このままでは100年後の歴史においては恐らく、世の中を変えるようなモダンなシステムやテクニカル・マシン等はすべて中国で考案され、製造されて世界に貢献したと書かれ、日本の名などは一切出ては来ないであろう。上記の(1)(2)(3)(4)の各例を見ればよく分かるはずであろう。いや、よく解ってもらわなければならないのである…!。
 それが歴史の正体であり、歴史書と言うものである。要するに、歴史とは強いものが作るものであり、嘘でも歴史として永遠に残るものである。今の歴史書はそれらの集大成と言うものであり、実際には真実からは程遠いものがあると考えてもいいものである。要するに、権威者の匙加減、あるいは民族の心持ち次第でどうにでも転び、どうにでも作られる(編集される)ものである。

 考えて見るがよい、片や言挙げせず、すなわち諍いを好まない少数の日本民族、対するは言い負かされると命が失われるような多勢な大陸族、人間の歴史なんては強い方、言いたい放題、強く言った方に流れるものであり、それが伝わって時間と共に作られたもの、それが歴史である。決して確かなものではないということを覚えていてほしい。

日本の歴史でもご同様であり、事情は変わらない。すべては強い方の事情がそのまま歴史に反映され歴史として伝わっているのである。要するに、弱いもの、滅ぼされたもの (少数) の文化、伝承はただ消され、闇に消え去るだけなのである。例えば、今の天皇家(倭朝)の前の72代にわたって存在した「ウガヤ朝の存在」、古代日本の「神道の真実」「神代文字」等、すべては失われて闇の中に消え去った真の歴史のかけがいのない一部なのである。今問題にしなければ永遠に失われ闇の中に消えてしまうのである。
 要するに、当時それらを守っていた人々はすべて大陸からの渡来人により迫害淘汰され、余儀なく地方に落ち延び分散する憂き目を見ることになったのである。その証拠に歴史的な古代文献が見出されるのはすべて鄙なる地方の片田舎からだけである。 

さあ、このあたりで日本所縁(ゆかり)の祝詞「ひふみ…天地の数歌」が歌う宇宙の歌、すなわち、「神の法陣」の秘密を探しだして、真実を聞いてみよう。


 ここでもう一度「神の法陣」の3次元、4次元。5次元の各表を先回と同様に掲げて置くので再度数の並びを確認し、答えの出し方をしっかり学んでもらいたい。そのあとの6、7、8、9、10次元の各表は自分の手で作り、結果を検証することである。すべては「神」の意のまま、自然の流れのままである。それはすなわち、神道の奥儀言葉である「カムナガラの道」であり、自然ののままに考え、そのままを心に写しとるべしと言うことである。


  日本の秘宝、「神の法陣」の大いなる姿を見る
      ≪2,3,4,5次元の各「神の法陣」を解き放つ≫

  @「2次法陣」を解くすべては自然と同様に円状、楕円状に走って納まる) 

1   2
3   4

 横12+43   =55→1
 縦13+42   =55→1
対角()14+41 =55→1
対角()23+32=55→1   (55→10→1)

A「3次法陣」を解く
すべては自然と同様に円状、楕円状に走って納まる) 

 1  2 3 
 4 5  6 
 7 8  9 

 横123+987   =1110→3
 横456+654   =1110→3
 縦147+963   =1110→3
 縦258+852   =1110→
対角(左)159+591=1110→3

対角()753+357=1110→3  (1110→30→3)

B「4次法陣」を解くすべては自然と同様に円状、楕円状に走って納まる) 

2  3  4 
 5  6  7  8
 0  1  2  3
 4  5  6  7

 横1234+7654  8888→5
 横5678+3210  =8888→5
 縦1504+7384  =8888→5
 縦2615+6273  =8888→5
対角()1627+7261=8888→5
対角()4174+4714=8888→5
  (8888→32→5)


C「5次法陣」を解くすべては自然と同様に円状、楕円状に走って納まる

1   2  3  4  5
 6  7  8 0  1 
 2  3  4  5  6
 7  8  0  1  2
 3  4  5  6  7

  横12345+76543  88888→4
  横67801+21087  =88888→4
  横23456+65432  =88888→4
  縦16273+72615  =88888→4
  縦27384+61504  =88888→4
  縦38405+50483  =88888→4
対角()17417+71471 =88888→4
対角()38405+50483 =88888→4
  (88888→40→4)

    <この後6,7,8,9、10次元と宇宙大まで続く…>
≪これらの各次元表の数の走りをそのまま円、または楕円で結ぶ、すると、すべての表図には「原子の走り」の姿、すなわち「原子の電子軌道図」がそこに現れるのである。≫


 ここで一つ、これら「神の法陣」の真実が明らかになる簡単な形の「数の証明式」をあなた方に差し上げることにしよう。それを見ればあなた方も納得して更に一汐の考えに耽けることになり、新たな興味が湧いてくるであろう。それは決して難しいものではなく、順序さえ踏めば簡単至極なものであり、子供でもその解決能力は十分にあるものである。
 同時にこれらは人知の果ての永遠の言葉、すなわち、人類が何時も問題にして止まなかった哲学上の問題「神は無矛盾である」の言葉の正しさを証明するものともなるであろう。要するに、「神」の御業、知業に一切の矛盾が無いと言うことは、同時に、それは「神」自体の無矛盾性を証明することにもなるのである。  <参照「神の方陣」初級講座(3)

考えて見れば、自然知が矛盾したものであれば当然自然は存在することはなく、とうの昔に崩壊消滅しているはずである。それはすなわち、何も矛盾しているものが無い、無矛盾だからこそ現在まで存続し来ているのである。それは同時に、「神」は無矛盾だからこそ消滅することも無く今でも存在し、かつ、これからも永遠に存在する大いなる存在であるとの証明でもある。そのあたりのこともからめて不日ゆっくり検討していきたいし、そのつもりでもある。

次に「神の法陣」の各図に並ぶ調和数を下に掲げておく、上記の2次、3次、4次、5次に続く各次元表は自分で作り上げて、そこにあるべき正しい数の出現、更には「数の語る」新しい啓示をあなた手で見いだし、十分に検証してほしい。

  
 
 〔「神の法陣」の歌う大いなる数の語り〕 (その1)

 次の数は「神の法陣」の調和数(共鳴数)を秩序通りに並べたものである。

 1次 2次  3次  4次   5次    6次     7次      8次       9次     10次元表        11次元表

2 55 111 8888 88888 111111 5555555 22222222 111111111 2222222222  55555555555 …→

さあ、これらは一体何を意味し、何を開示しているものなのであろうか…!.

全体を一睨みをしながら心で考え、その上でそこにある「神の秘密」の秘儀を探すのである。直観に従って素直に見れば簡単なことであり、そこには驚くべき「数の語り」の姿が現れて無言の囁きを語り始めるはずである。ただし、それはあなた方現代の人間の耳には聞こえない「数の語り」であり、いままでは誰も知らなかった影の世界の「真実の語り」である。
 ここで必要なのは鋭い直感力と深い洞察力であり、非凡な頭の回転である。別に学の有無、専門知の多少等は一切関係ない、いやかえって邪魔になるものである。それらのすべてを頭から外して一旦傍らに置いてゆっくりと考えることである。

まずは同じ数の出現による「数の語り」、あるいは「その数の語り」の持つ同一単数数列の姿に注目してほしい、それらの姿仔細を推察考慮すると次の関係が見えてくるはずである。

D 4次元(調和数)+5次元(調和数)=8888+88888=888888888=72→9→0

C 3次元(調和数)+6次元(調和数)=111+111111=111111111=   9→0

B 2次元(調和数)+7次元(調和数)=55+5555555=555555555=45→9→0

A 1次元(調和数)+8次元(調和数)=2+22222222=222222222=18→9→0

@  0次元(調和数)+9次元(調和数)=0+111111111=111111111=  
9→0

 
 要するに、4次元と5次元の間を境にして二つに折り、その重なった数列を見る、すなわち対極数を加算(並べる)するのである。するとすべては同じ同調数の群れとなるのであり、それらの並列数を加算した上で1桁化すると、そこには0が導き出されて完となるのである。まさに大いなる「神業」であり、まことの「神の心」の存在がそこにはあるのである。
 これはまた祝詞「ひふみ…天地の数歌」から生まれた古くて新らしい「知の種」であり、古神道の神髄を歌う奥儀祝詞の「大いなる天と地の歌」の本当の姿の表れなのである。
 
 
  〔「神の法陣」の歌う大いなる数の語り〕 (その2)

 
 これでもまだ合点いかぬ御仁は10次元、11次元、12次元と計算を続けて見るがよい。するとそこには驚くべき数が現れてあなたの度肝を抜くであろう。すべては成るようにして成り、遥か人知を凌いで永遠を誇って存在しているのである。
 
 すなわち、「10次元→2222222222=2×10→2(1次元)」、「11次元→55555555555=5×11=55(2次元)、更には12次元→111111111111=12×1=12→3→111(3次元)…が現れ、すべては9次元を分節にして新たに繰り返しが始まることに気がつくであろう。まさにここには数の妙技が展開されてすべてが了となり解となるのである。 何と、すべては9次元で終わりを告げ、新たに最初から再び繰り返される、それが自然のル−ルであると言っているのである。まさに、それは周期律表の電子が9(0)で終わって外殻に軌道を移して新たに1から始まるのと同一な表れを示しているものではないのか…!!
 この数の開示している事実は世紀の、いや人類史上目を見張るような重大な発見であり、位相数学(トポロジ−)分野における大いなる進展の序曲ともなるものであろう。これからはこれを足掛かりにして難攻不落であった次元時空の諸位相はだんだん明るみに出てくることと思われる。

 あなたが物理学者であるならば、強くそこを学んで真実を掴んでもらいたい。日本の物理学の更なる発展のためにである。このような簡単な「数の理」で世界の物理界を強くリ−ド出来る、それが日本の「古代の知」の有難いところであるのである。
 ただ旧来の学にしがみついて他を排斥、あるいは無視するようならば、最早、明日は無いものと思わなければならない瀬戸際、それが現在である。要するに、すでに、西洋科学知は袋小路に陥り抜き差しならない状態にあるのであり、場合によっては終焉とまで囁かれているのである。もって瞑すべし。
 
 そこでもう一度原点に戻って考えて見ると今度はよく分かるであろう。何故、祝詞「ひふみ…天地の数歌」は9で完了し、それが三度繰り返されている理由が…?!。あなたが日本人であるならば、この先の説明は不用であろう。要するに、この先の計算はあなたの手で続けて「数の妙味」と「その神髄」、「古代日本人の知の高さ」を是非味わってもらいたいのである。そうすることにより日本民族の素晴らしさ、太古より連綿と続く知の伝承の確かな存在はすべて白日の下に曝され、いつかは世界中に響き渡ることになるのである。
 すべては自然の持つ「数の理」であり、「現代数学」より遥か高度な「数の技」の数々が大自然を巧みに操って永遠を紡いでいる事実がだんだん頑是ない学者達にも解ってくることであろう…。

これから結婚相手を探し、新たな人生を踏み出そうとする若い方々に一言申し上げたい。もし、あなたが最良のパ−トナ−を得て一生を満足に過ごしたいと思うならば同じ調和数(心)を持っている相手を選ぶことが第一条件である。そのことが必要不可欠であることをこの数の語りはいみじくも数もって開示しているのである。まずはそれを十分に見極めた後にその他のアクセサリ−、すなわち、顔、身長、声などの2次的な好み、更にはその後に続く3次的に必要なもの、すなわち、収入、財産、地位などというものを選ぶべきであると数は囁いているのである。それをくれぐれも忘れないことである…!!。現在、それが逆転し、前後がさかさまになっているからすべてはままならず離婚が増え一生を棒に振る羽目になっているのである。そのあたりのことは上記の数計算を見れば当然推察出来るはずである。 まずは何回も「この数の語り」を目と心で検証し、十分に理解することである。そして、それをしっかりと心にとどめ、決して忘れないことである。

ここで改めて、祝詞「ひふみ天地の数歌」にある「ひ、ふ、み、…」の天地言葉、すなわち、0123456789で示されている正自然数の存在をしっかり思い出してほしい…!。それはこの祝詞数言葉の中心、すなわち、4と5の数を境に二つに折り重ねて各数を加算するとすべては9になり、0になると以前に何回か申し上げたことである。何と、ここにある「数の物語」は大自然の基本形である祝詞「ひふみ天地の数歌」が大本雛型となっているものであり、その原型そのものであることを改めて学んでほしい。

「神道」とは素晴らしいもの、まさに世界に冠たる「神の道」、「自然の道」なのである。我々はここで改めて見直すべきであろう。まさに弥栄の限り、無上心の限りである。

大自然のすべては祝詞にある「ひふみ…天地の数歌」の持つ基本そのままの流れであり、この古神道の祝詞こそまさに「自然真実の道」を歌いあげている大いなる存在、すなわち、自然を賛歌する「カムナガラの道」そのものなのである。「カムナガラの道」、それは決して失われたものではなく、祖達により、しっかりと古神道の中に納められ、何時の日か甦えることを祈りながらその中に封印されたものなのである。   <詳細は「真理講座」2参照>

なんとこれらの示す見事な「数の語り」は比類なき自然知の姿をかいま見せながら、自然のあるべき本質の存在を歌い上げているものである。何とシンプルで美しく、そして心を打つ「天地の数物語」であろうか…!!。古神道こそまさに大自然を歌い、賛歌している「自然の理」のまことの道であり、天下にそれを厳として示して止まないものである。
 しかも、それらの「数」は見事な数律をもって整然と並び、何事かを懸命に囁いているのである。この最も簡単な「天地の数序」を語る古神道の奥儀の道が祝詞の中に凝縮されて封じられ、眠ってていたのである。それがまた天地の2元の理である「陰」「陽」の姿でもあり、大自然の二大理律そのものでもあるのである。


  〔「神の法陣」の歌う大いなる数の語り〕 (その3)


 更にもう一つ突っ込んで計算して見よう、次のように加算し、一桁化して数を見るのである。すると矛盾の無い数列が現れて我々を更に感動させてくれるのである…!!。

@ 0次元(調和数)+9次元(調和数)= 0+111111111=0+9 →0+9=9→0

A 1次元(調和数)+8次元(調和数)= 2+22222222=2+16 →2+7=9→0

B   2次元(調和数)+7次元(調和数)= 55+5555555=1+35 →1+8=9→0

C   3次元(調和数)+6次元(調和数)=111+111111 = 3+6 →3+6=9→0

D   4次元(調和数)+5次元(調和数)=8888+88888=32+40 → 5+4=9→0  

    <さあ、よく見てほしい、これらはいつもの数であり、「空飛ぶ円盤」から現れた「数の理」である。>

更にもう一つ「真実の数の語り」を付け加えておく、即、検算検証して見ることである。


   
〔「神の法陣」の歌う大いなる数の語り〕 (その4)


  〔数の語り〕 (その1)に並ぶ次元調和数の中から一つを拾って次元順序に沿って並べて見よう。

2 5 1 8 8 1 5 2 1 2 5 1 8 8 …… 循環数がどこまでも続く

∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨

3 5  7  0 2 4  6  8  1 3  5 7  0 ……「ひふみ数」の循環体

 ここにある「ひふみ数」は不完全である。本来それは135702468となって循環を繰り返すものである。そのためには3の前には1を置くことが必要である、そこで推察するのである。(その3)にある「ひふみ数」である357の前にある数字は当然である。そこでその上にある循環数の並び方から考えるとその母数である251の前の数はでなければならない、そこで1251…と数を置く、すると当然「ひふみ数」の前には2−1=1が現れて見事に13570…の姿となって完成し、すべては弥栄となり完となるのである。まさに、自然は無矛盾であり、完璧性を誇っているのである。

 要するに、(その4)のあるべき正しい形は次のようになるものである。

←………     鏡面対称数列    ………→

1 2 5 1 8 8 1 5 2 1 2 5 1 8 8 …… 鏡面対称循環数が続く…

∨ ∨ ∨ ∨  ∨ ∨ ∨ ∨  ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨
 1 3 5 7 0 2 4 6 8 1 3 5 7 0 …… 「ひふみ数」の完全循環体が続く…

 
 私は知りたい、ここに現れた1251881521……と流れて止まない鏡面対称無限数列を何と呼ぶべきなのであろうか。それは単に1251881521と連なる9ヶの数が無限循環を繰り返していると言うべきか…?。はたまた12518の5ヶの数が鏡面反射と言う形で反対の鏡面に入り81521となって「陽」という逆数の姿を生んでいるのであろうか…。更には、それらがまた「陰」、「陽」の姿となって鏡面で無限反射を繰り返しながら1251881521…となって永遠なる循環を続けているのか…?!、それとも何らかの収束点があり、それに向かっているのか…?!。果たしてどうなのであろうか…?!。 まさに、これは時空を裂かんばかりの無限鏡面循環反射と言う「数の流れ」の姿である。

 これで「神の数学」は弥栄の限りの聖なる「神の学」であり、永遠の時の流れを介して無限の姿をもっていることがあなた方にも分かるであろう。要するに、この手法は数の滑らかな秩序を利用してその先にある「見えないもの」を見出し「真実世界」の姿を明らかにしていこうとする究極の手法なのである。

この手法は現代量子物理学においても用いられているものであり、「S行列式」、あるいは「マトリックス行列式」と呼ばれているものであり、素粒子などの「見えない世界」の探索に大変効力を発揮し、遺憾なく「見えない世界」探索し成果を上げているものである。


〔「神の法陣」の歌う大いなる数の語り〕 (その5)

 1次 2次  3次  4次   5次    6次     7次       8次       9次       10次元表

2 55 111 8888 88888 111111 5555555 22222222 111111111 2222222222

‖‖  ‖  ‖  ‖     ‖    ‖     ‖      ‖      ‖

 2 1  3   5   4     6     8     7       0       2   … 加算後1桁化

  ∨ ∨  ∨  ∨   ∨    ∨     ∨    ∨       ∨

 8  2  2   8   2    2      8    2       2  …… 1深奥数列

    ∨ ∨  ∨  ∨   ∨     ∨     ∨     ∨

    3  0  6  3    0     6      3     0   ……   2深奥数列(ひふみ数列)


 上記の計算は各次元表の持つ調和数を加算したもの、すなわちそのΣ数から何が現れて来るのかを見ようとしたものである。そこにある∨とは右の数から左の数を減算して答えを出したものとの記号である。このようにその計算を1回行ったものが1深奥数列と呼び、更にもう1回行えばそれは2深奥数列と呼ばれるものである。その次を更に続けて見るがよい、すべては同一数が現れて0を告げるだけである。要するに、「ひふみ…九九算」が現れればすべては完であるのである。

 ここでは2回行うことにより答えである「ひふみ数列」が無事に現れて完となり、すべては真実の表れであることを証明しているのであり、まことに鮮やかな姿と言うべきであろう。これらが何を語り、何を表すものかはそれぞれで考えてほしい。
 ただ、これは一つの「知のエポック」の現れであり、新しい知の時代の到来を示すものであるのは間違いないものである。

また、〔数の語り〕 (その1)にはまだまだ恐るべき超知の語りがいろいろと内蔵されているが、到底、現代知では歯が立たないことを知ってほしい、まずは「神の数学」でそれらを捉まえてその理を理解し究めることである。なぜそうなるのか、それを調べ理解することが現代知を一気に自然知に近づけることになるのであり、自然の知の存在を知るための本当の近道なのである。

我々の知はまだ揺籃期にあるのであり、これから自然の知を学びとって成熟するものである。そのあたりを知ってもっと敬虔な態度でこれからの道を歩むことが必要であろう。

今必要なのは大自然から矛盾の無い「完全無欠の知」を学ぶことであり、それらを用いて自然と共に歩んで永遠の道を探し、それを辿り将来に備えてすべてを学んでおくことである。

決して自然を見下したり、馬鹿にすべきではない。自然と言う世界は何十億、何百億年と言う長い時間をかけてそこにあった様々な矛盾を克服して現在の無矛盾世界を創り上げてここに存在しているのである。何らかの矛盾が生じたり、それをクリア−出来なかったならとうの昔に消滅するか、または矛盾を持った不完全世界に落ち込んでいるかである。

要するに、無矛盾の世界が現にこのように連なっていると言うことは、すべての矛盾を解決して永遠を得て来たのであり、これからもそれは未来永劫に続くと言うことである。まさに自然は「神」であり、またとない我々の師と仰ぐべきものである。

一方、我々の歴史を見ると、自然をお手本に学を解しはじめてまだ数千年と言う若さであり、まさに揺籃の存在である。その事実を忘れて自然を征服し、凌駕したと考えているのが現代人である。ただ、馬鹿かとさげずむしかない哀れな存在としか言えないものである。。知るべし阿吽の道を…!!。<「阿」は万物の根源、「吽」は一切が帰着することろ。すなわち、阿=吽である。>  11月の記 以上


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