青蘊です。
お久しぶりです。
ラー文書の中に、6次元の金星人集合意識ラーが一万年前に、エジプトと南アメリカに金色の肌で地球人と接触したというような、内容が書かれています。
たしかにエジプトは黄金の棺、南アメリカはふんだんな黄金の文化ですね。
この中では、アセンションのことを魂の収穫と表現し、50%以上の他者への奉仕か、95%以上の自己への奉仕がアセンションの対象となるというような内容です。
一なる法則のもとに、他者へ奉仕する惑星連合と、自己へ奉仕するオリオンのグループが戦っている、というような内容です。
シュメールの文化はオリオン系からもたらされたのではと読んでみて感じました。
日月神示の冒頭にあるカミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであろ。他者へ奉仕する思考と自己へ奉仕する思考の戦いと通じるものがあるように感じます。
西洋の自己を主張する文化、東洋の全体思考の文化の統合。
今起こっている事件や紛争は、いいかげんな他者への奉仕の思考で長いものに巻かれる行いと、都合のいい自己への奉仕で短絡的な隷属を他者に行うことから産まれているように感じます。
○の中に・を入れる一厘の仕組みは一なる法則のもとの他者へ奉仕することと、自己の奉仕をバランスをとることのように感じています。
日本では7年前に翻訳された本ですが、チャネリングしたのは1981年、30年以上経過しています。
日月神示と同じように初めは、2~3人に伝えれるとよいと書かれています。
yuru63さんはどのように感ずるか教えていただければと思いメールしました。
一なるものの法則は神道に示される命の親からの分け御霊と結ばれるように感じられます。
> ○の中に・を入れる一厘の仕組みは一なる法則のもとの他者へ奉仕することと、自己の奉仕をバランスをとることのように感じています。 |
なるほどです。他者のみへの奉仕に偏ることも、自己のみへの奉仕に偏ることも、どちらも片輪「ゝ」「○」ということになるのかもしれません。
自己の歪みを無くし、天地の理と一体化すると自然に「自己への奉仕100%」+「他者への奉仕100%」となるという究極の姿がありそうです。
他者へ奉仕することと、自己へ奉仕することを一体化して包括させている様な「ひふみ」の記号は、理に適ったものにみえますし、天地自然と和そうとした日本人の姿や日本文化も「
」を求めていたのではないかと思われます。
「○の中にゝを入れる仕組」というものは様々な事象に対してハイレベルな問題解決をもたらし、実の理(みち)にかなった姿なんだなあと改めて気づかされました。