日本経済新聞などによれば、このようなリプレース計画の背景には運営費の面から見た経済的問題と、立地候補を失ったという2つの問題が影響を与えている[35]。 中部電力は業界平均と比較し、原子力発電の比率が低位で推移しており、火力発電にて年間発電電力量の7割以上を賄わなければならず、それが業績の不安定要素として重くのしかかっており、2000年代後半の原油価格高騰の影響を受け、2008年7月、29年振りの赤字に転落した。 中部電力は浜岡の補強を計画していた2000年代に、珠洲原子力発電所計画と芦浜原子力発電所計画を中止しており、他に候補地が無くなった。 また、両発電所の建設費が不要となったことでリプレースの資金的な折り合いはついた。 法的な強制力こそ無いものの当然のことながら、「(1000ガルと公約した)基準を引き下げることは企業として困難」という事情もあったことを日経新聞の記事は報じている[35]。 このリプレース計画について、朝日新聞は地震発生域での建設であること踏まえ、CO2削減など環境上の要請は認めつつも、「他社の原発から調達する電力量を増やしたり、新たな立地を模索したり、といった代替策を広く検討すべきだ」などと述べた[36] 。 日本経済新聞も「原発比率をさらに高めるためには、浜岡以外の立地も検討課題となる」と述べている[35]。 発電設備 [編集]プラント型式、格納容器型式については国際原子力機関ウェブサイト(脚注[37])、および『原子炉設計』(オーム社)P111などを参照した。 より詳しい仕様は中部電力ウェブサイト[38]などを参照のこと。 1号機 [編集]原子炉形式:沸騰水型軽水炉(BWR-4) 格納容器形式:MarkI 電気出力 :54万kW 運転開始 :1976年3月17日 運転停止 :2002年4月26日 - 第19回定期検査によるもの[39] 廃炉発表 :2008年12月22日[40] 運転終了 :2009年1月30日 2号機 [編集]原子炉形式:沸騰水型軽水炉(BWR-4) 格納容器形式:MarkI 電気出力 :84万kW 運転開始 :1978年11月29日 運転停止 :2004年2月21日 - 第20回定期検査によるもの[41] 廃炉発表 :2008年12月22日[40] 運転終了 :2009年1月30日 航空写真(1988年)この時点で3号機までが稼動している 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。 3号機 [編集]原子炉形式:沸騰水型軽水炉(BWR-5改良標準型) 格納容器形式:MarkI改良型 電気出力 :110万kW 運転開始 :1987年8月28日 4号機 [編集]原子炉形式:沸騰水型軽水炉(BWR-5改良標準型) 格納容器形式:MarkI改良型 電気出力 :113.7万kW 運転開始 :1993年9月3日 基本仕様は3号機とほぼ同じだが、湿分分離加熱器の採用で出力を若干上げている。 5号機 [編集]原子炉形式:改良型沸騰水型軽水炉(ABWR) 格納容器形式:鉄筋コンクリート製格納容器(RCCV) 電気出力 :138万kW - 国内の原子力発電所単体では最大出力 運転開始 :2005年1月18日 建設中の2号機の航空写真(1975年)円形をした原子炉格納容器と思しきものも見える。 その横には運転開始を目前にした1号機が見える 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。 6号機 [編集]原子炉形式:改良型沸騰水型軽水炉(ABWR) 電気出力 :138万kW 建設発表 :2008年12月22日 - 廃炉となる1、2号機の代替を予定 着工:2015年(予定) 運転開始:2018年前半(予定) 取水方法 [編集]本発電所では岩礁が多い海底地形上の問題から、小規模な港湾を設けて防波堤内に取水渠を設ける方式は取られなかった。 各プラントごとにトンネルを掘削し、沖合いに取水塔が設けられている。 なお、港湾を持たないため、海上輸送の必要な物資などは専ら近隣の御前崎港を利用している。 なお、1号機の取水塔採用は日本の原子力発電所としても初の試みであり、当時は海外でも2,3の事例があるに過ぎなかった。 取水塔に求められる条件は次のように考えられた[42]。 計画取水量を安定して取水できる 表層の温水を混入しないこと 海底の堆積土砂を出来るだけ吸い込まないこと 修理点検のため取水口を閉そくして内部の水を排除できること 取水口の水理特性が良好で渦などの発生が無いこと 波力、地震力、浮力等の外力に対して構造物として安定であること 位置は、地質調査結果から岩盤の被りが厚く岩質も良好で、破砕帯が少ないことを条件に決定された。 また、取水塔の掘削沈下および海底トンネルの接続を圧気下の作業で行なおうとすれば、基礎底面の標高は水面下35mが限度であり、海底トンネルの下限となる。 結局、最終案では最小被り厚さ15m、トンネル先端の中心標高-28m、トンネル延長660m(内海底部分600m)、取水塔据付位置は沖合い600m、最大水深10.75mとなった。 取水塔は外径16m、内径12mの円筒で、上部は開放され灯標が立っている。 海中には取水用のゲートが全周に渡り設けられており、海底の砂を吸い込まないよう下端は海底から3mの位置に、開口高さは1.6mあった。 災害時の動水圧なども計算され、地震に対しては、重要度分類にてCクラス、静的水平震度はC0=0.2とされた。 また、応答スペクトルによる計算も実施され、その結果はC0=0.33で検討したものと同等であった。 船舶の衝突については付近に大型船航路はなく、過去の実績から500t程度の難破漁船が衝突しても大丈夫なように防舷材を取り付けされているが、「船舶そのものの衝突については、本取水塔を含めて、斯界全体の課題である」とも述べられている。 この時掘削に使用されたシールドマシンは熊谷組のもので、後にカッターが浜岡原子力館の屋外に展示されている。 その後増設されたプラントも同じようにトンネル方式での取水となっている。 5号機を例に取ると、次のような仕様である[43]。 取水塔:鋼製ケーソン、外径約24m、高さ18m、側ゲート6門 海底取水トンネル:内径7m、 延長約690m、トンネル勾配3% 陸部取水トンネル:内径7m、 延長約34m、トンネル勾配16% 取水槽:幅約33m×長さ約123m×深さ約25m、角落とし室、沈砂池、スクリーン他 循環水路:幅約15m×長さ約124m×深さ約3.6m 放水ピット:幅約18m×深さ約17m×長さ約43m 放水路:幅約6m×深さ約5m×長さ約138m 放水口:幅約24m×深さ約10m×長さ約31m 地震対策 1号機建設時 1号機の設計用地震加速度は次の通りで、許可された値は若干大きなものとなっている。 基本的には2号機も同様である(クラスは重要度分類)。 1971年当時建設を許可されていた主要な原子力発電所8ヵ所の中で、この値は最も高く設定されている。 なお、これは基盤における水平地震動であり、鉛直地震動はその1/2で定められていた[44]。 クラスAs相当[45]:申請400Gal、許可450Gal クラスA:申請300Gal、許可300Gal また、従来の発電所では、原子炉建屋、タービン建屋、制御建屋、廃棄物処理建屋を別々の建物としていたが、本発電所では1号機より「複合型原子炉建屋方式が採用」され、均衡のとれた構造構成を目指した。 具体的には、原子炉建屋、制御建屋、廃棄物処理建屋は複合型原子炉建屋として一体化された構造物となっている。 地下及び1階は64m四方の正方形をしており、建屋内に厚さ1.2 - 1.5mの壁体で仕切られた二次格納施設があり、この中に原子炉がある。 二次格納施設と1.3mの厚さの外壁の間の空間には、廃棄物処理施設、機器冷却系、非常用電源設備[46]などがある。 2階より上は44m×33mの二次格納施設部分のみとなっている。 タービン建屋は従来通り独立している。 この方式のメリットは次の通り[47]。 廃棄物処理建屋部分などが、遮蔽上保有している壁体を耐震上も有効利用でき、原子炉建屋全体の剛性が向上する。 建屋基礎面積が増加するので、地震時の基盤負担力も軽減出来、安定度が向上する。 3号機 3号機設計の際は、大規模地震対策特別措置法が施行され、その地震防災対策強化地域に本発電所も含まれた。 当初はかつてのAs、A級をそのまま踏襲した値で申請されたが、入力地震動は1、2号機より大きくなり、次のように強化された。 この大幅なアップも補正後再提出された申請書で初めて記されたものである。 なお、1、2号機についても下記の加速度で再検証がなされ、問題ないとの結論が下されたが、この点に小林芳正(京都大学理学部教授)は疑問を示した。 なお、最大振幅の推定については中距離地震動はいわゆる金井の経験式で、近距離については史料による墓石転倒などの被害状況から推定された[48]。 最強地震S1:初申請時 300Gal、再提出後450Gal 限界地震S2:初申請時450Gal、再提出後600Gal 3号機の建設に当たっては、格納容器型式をどうするかについても検討されたが、MarkI改良標準型とされた。 これは、MarkII改良標準型などと比較し圧力容器の据付位置が8m程低く、地震動に対してより安定な構造であったためである。 公開ヒアリングでは福島第二原子力発電所3,4号機と比較がなされている。 また、高速度制御棒がこの機から採用された[49]。 建設時の基準地震動の差 旧耐震基準時代、3号機以降が建設された際、1・2号機との基準地震動において上述のように差が生じた。 このことに対して、中部電力は「プラントの強度は300Gal、450Galの地震動をちょっと超えると壊れるようなぎりぎりの設計をしているわけではなく、相当な余裕を持たせた」と説明している。 また、1・2号機の建設時には地震応答解析のモデルが地盤上にばねを介して載っている物であったのが、その後実際の条件に近いモデルで評価を実施したところ、かつて見積もられた建屋の揺れが強めに評価されていたため、3号機以降で使用した基準地震動に対しても耐震性能が問題ないことを確認したと言う[50]。 また、耐震裕度向上工事が実施される以前に、原子力発電技術機構多度津工学試験所の大型振動台にて、機器・配管類の実機試験を行って耐震性を確認したことも挙げられている[51]。 制御棒駆動機構を例に取ると、振動台の能力一杯である基準地震動S2の1.7倍の振動試験でも正常に動作することが確認されたという[52]。 なお、地震動による応答加速は計測場所により異なり、1号機に基準地震動S1を入力した際の水平応答加速度の場合を例に取ると、下記のようになる[53]。 原子炉建屋最上階:1188Gal(南北)、1125Gal(東西) 地表:618Gal(南北)、579Gal(東西) 建屋基礎(地盤面):441Gal(南北)、458Gal(東西) 耐震裕度向上工事 [編集]中部電力が行ったシミュレーションによると、震源が40km離れた想定の東海地震の時、地盤の震動加速度が垂直で約300Gal、水平で約600Galであった(加振加速度は、垂直方向で1,000Gal+、水平方向で1,000から2,000Gal)。 これを元に、垂直700Gal、水平1,000Galに対応するため、炉の周辺の付属物とその支持などへの工事が、2007年から2008年にかけて行われ、2009年に財団法人発電設備技術検査協会によって評価が終了した。 評価は炉を含め、震動の解析と規格強度との比較である[54][55][56][57]。 工事の結果、原子炉の設計上の耐震性(最大水平加速度)は次のようになった。 1・2号機 450Gal [58] 3・4号機 建設当初600Gal[59]、補強後1000Gal 5号機 補強後1000Gal タービン建屋その他の建造物、設備は重要度分類において原子炉建屋と同等の評価ではないため、この限りではない。 ただし、下表のように、機能面の検討を経てB,Cクラスなどでも補強対象となった箇所がある。 2005年 - 2008年に施工された耐震裕度向上工事の概要総括表[60] 種別 評価対象数 改造対象数 改造内容 重要度 分類における耐震クラス 配管ダクト周辺地盤改良工事 3 - 5号機 各号機 3系統 各号機 3系統 配管ダクト周辺地盤を掘削しコンクリートに置き換え Cクラス 排気塔改造工事 3 - 5号機 各号機 1基 各号機 1基 排気塔筒身を囲むように支持鉄塔を追加で配置 Cクラス 配管サポート改造工事 3号機 約7,000箇所 約200箇所 以下に示す設備の配管・サポート ・原子炉を停止するための設備 ・原子炉を冷やすための設備 ・原子炉を閉じ込めるための設備 As,Aクラス 4号機 約4,000箇所 約200箇所 5号機 約6,000箇所 約100箇所 計 約17,000箇所 約500箇所 評価対象全体の3%を改造 電路類サポート改造工事 3号機 約5,500箇所 約1,700箇所 以下に示す設備の機器関連のケーブルトレイ、電線管のサポート As,Aクラス 4号機 約5,500箇所 約1,300箇所 5号機 約5,000箇所 約1,500箇所 計 約16,000箇所 約4,500箇所 評価対象全体の30%を改造 燃料取替レールガイドおよび原子炉建屋天井クレーン 改造工事 3号機 約730箇所 約3施設 ・燃料取替機レールガイド改造 ・原子炉建屋天井クレーン支持部材改造 ・余熱除去系交換機(3号機のみ) Bクラス(注[61]) 4号機 約700箇所 約2施設 5号機 約680箇所 約2箇所 油タンク立替・改造工事 3 - 5号機 各号機 2基 各号機 2基 ・軽油タンクは非常用ディーゼル発電機を約7日間連続運転させるために必要な容量を確保するために改造 (基礎新設、防油堤改造) Cクラス 取水槽ポンプ室土留壁背後地盤改良工事 3 - 4号機 3号機 4号機 3号機 2箇所 4号機 1箇所 ・取水槽周辺の土留壁背後の地盤を改良 Cクラス 新耐震基準制定後の国のバックチェック [編集]耐震裕度向上工事は上述のように、新耐震基準の施行を待たずに着手されたものだが、その耐震基準は2006年9月に改定された。 これに伴い、既存の原子力施設に対しての新基準に基づいた耐震性評価(バックチェックと称する)が原子力安全委員会耐震安全性評価特別委員会にて実施された。 これに応じて3、4号機については2007年初頭に相次いで耐震安全性評価結果報告書が提出されている[62]。 本発電所に対して耐震安全性評価特別委員会は、ワーキング・グループ1(WG1)にて2008年7月30日に初会合を開いた[63]。 なお、広瀬隆は『原子炉時限爆弾』にて「変動地形学を知らない地震学者」なる表題を掲げ批判を行っているが、実際には同書刊行前の新耐震基準にてリニアメント重視の考え方から変動地形学重視への転換がなされている[64]。 本発電所においても変動地形学の観点から活断層評価が実施された。 更にバックチェックにより評価するべき活断層は当初の12本から15本に増やされた[65]。 前述のようにバックチェックは3,4号機に対して実施したが、2009年8月11日に発生した駿河湾沖地震に伴い、追加調査が実施された[66]。 なお、東北地方太平洋沖地震が発生した2011年3月11日の午前中、偶然耐震安全性評価特別委員会が開かれていたが、本発電所については依然調査中であり中間報告の出されていない数少ない発電所の一つとなっていた[67]。 中部電力の研究・反論など [編集]中部電力は自前の振動試験設備を活用し、1990年代に運転員が載った状態で制御室内の機器を操作出来るのかを実験したことがある。 この時は振動台の上に模擬制御盤を設置し、加振の程度を数段階変えた上で下記の試験を実施している。 運転員に数パターンの警報シナリオ操作を実行させる 警報に伴うパソコン上に表示された指示値の内オーバーしたものの読み取り この結果、警報シナリオにおいては警報に対する操作内容が直感的に分り難い場合には精神的負荷も相俟って誤操作を誘発する可能性があると推定された。 また、指示値読み取りにおいては自動停止する程度までの地震動では問題なく操作出来たものの、基準地震動S2による制御室での応答波(水平840Gal,鉛直416Gal)の入力では9割以上の運転員が読み取りに困難を覚えた。 このため、地震の際一定の加速度以上で自動停止する現行のシステムは妥当と評価された[68]。 また、本発電所については、日本建築学会の学術講演梗概集にて中部電力、中電不動産などによる地震動の解析、実際の地震記録をシミュレーションで再現する研究などが複数回発表されている。 2005年には、「原子力発電所耐震設計技術指針 JEAG4601-1987」で提示されている多質点並列地盤モデルを用い、4号機のプラント全体を連成させたシミュレーション結果が提示されており、地盤定数の算出に遺伝的アルゴリズムを採用するなど、時代の進歩に応じた技法が取り入れられ、実際発電所各階で観測した最大応答加速度と良い対応を示したという[69]。 また、同誌で発表などから、中部電力がプラントや建屋、地盤をどのような質点系としてモデル化しているのかや、建屋重量など実際のプラントのスペックについても読み取ることが出来る。 2008年10月には、次世代軽水炉の開発プロジェクトに協力し、構内で免震試験装置の設置工事を開始した[70]。 また、検討を試みた1、2号機ばかりではなく、ABWRプラントにおいても免震化設計の研究記事を、鹿島建設と共同で発表している[71]。 なお、中部電力は折に触れて下記の懸念に対する反論を行っており、ウェブサイトにて一覧化されている[72]。 告発の中には原子炉建屋基礎岩盤強度確認に関わっていない会社の者が原子力発電所の設計者を名乗り「岩盤強度・核燃料の固有振動数・建屋の減衰をごまかしている」などと述べたものがあるという[73]。 地震に対する懸念 3号機計画時の懸念 [編集]東海地震の想定や敷地内のリニアメントについて、問題として取り上げられるようになったのは、本発電所が運転を開始して間もない、大規模地震対策特別措置法施行の頃からである。 同法施行直後に3号機の増設計画はまとめられ、1978年12月18日に設置変更許可申請書を提出したが、審査書類の再提出を求められて、活断層調査などの記述を大幅に追加して、1980年12月に再提出した。 その際、藤井陽一郎(当時筑波大学理学部教授)などから、「中部電力は、従来の検討の不十分さを実際上は認め、部分的には新しい知識を取り入れながらも、いろいろと言いわけをし」たなどと、業界誌である『原子力工業』の記事でも批判されていた。 この時点で、発電所敷地内に断層破砕帯が存在する点が既に憂慮の対象となっており、再提出された設置許可申請でもH断層系として一部が呼称を与えられている。 このH断層系は1 - 3号機の建屋をかすめている[74]。 この件は静岡大学助教授(当時)の小村浩夫が1981年7月に発表した論文で紹介され[75]、原発から8km以内周辺には8本の活断層が知られており[76]、ほかに3本のリニアメント(活断層の疑いがある)があるが、そのうち2本が原発敷地内を走っている。 また、当時柏崎刈羽原子力発電所でボーリングデータ改竄が指摘されていたが、伊藤通玄(当時静岡大学教養部)も申請書を精読した結果、弾性波のデータが不自然にバラツキがなく、その疑いを表明していた[77]。 その後に表明された懸念 本発電所の立地条件を強調した反対運動は長らく続いているものであり、1990年代以降は、日本の反原発運動関連の書籍では必ずと言ってよいほど言及されている。 比較的知られたものだけでも広瀬隆[78]、吉井英勝[79]、原子力資料情報室[80]、鎌田慧[81]、坂昇二、前田栄作ら[82]、古長谷稔、食品と暮らしの安全基金[83]などがある。 出版活動以外にも、2002年に浜岡原発訴訟が提訴に至っている。 また、地震が直接炉に与える震動だけでなく、津波による電源喪失など周辺のシステムの不安についても、東北地方太平洋沖地震以降、国の基準の見直し議論も含め注目点となっている。 指摘される懸念は詳細は各項で述べる。 立地点に対する懸念 [編集]浜岡原発はフィリピン海プレートの境界である駿河トラフに近接しており、東海地震の震源と予想される領域のほぼ中心にある。 東海地震が単独で生じた場合、M 8、震度6、一部が震度7、総じて海岸部は震度6強から7と想定されている[84][85]。 このとき発電所の岩盤に与える揺れが、ある計算で395Gal、別計算では500Galと予想されている[86]。 ただし、東海地震は1854年の安政南海地震のように東海・東南海連動地震や1707年の宝永地震のように東海・東南海・南海連動型地震となる可能性も高いと予想されており、これが生じた場合にM 9の巨大地震となるという可能性が報道された[87]。 地震学者の石橋克彦神戸大学教授は第162回国会において太平洋戦争後半世紀に渡り小康状態であった日本列島全体が地震活動期に入りつつあるとの主張を公述している[88]。 産業技術総合研究所活断層研究センター研究員の藤原治と北海道大学教授の平川一臣の2007年の発表によれば、2005年から2007年にかけて浜岡原子力発電所東2km地点計8か所でボーリング調査を実施し堆積物を調査したところ、8000年以上前から100 - 200年周期で東海地震が起きていることを確認し、それと同時に、従来想定される東海地震とは別タイプの大規模地震が約4800年前、3800 - 4000年前、2400年前の計3回発生していることを確認したという。 さらに、2400年前以降もう一度大規模地震が発生したとみられることから、藤原は「1000年前後に1度、より大きな地殻変動を起こす地震があることが分かった」[89]としている。 岩盤に対する懸念 [編集]石橋克彦は、本発電所の立地する旧浜岡町で発生した安政東海地震の震度を史料より推定する過程において、同じく地震研究者の宇佐美龍夫が長年に渡り複数回発表してきた震度推定を再検討した。 その結果、根拠となる一次資料に遡ると具体的根拠が乏しい旨を指摘しており、浜岡町佐倉以外の周辺地点での記録からは軒並み震度6と判定するに足る破壊の記録が残されていること、佐倉にて地層の差による優位性が見出せないことなどを明示している[90]。 また、浜岡原発の立地する地盤は相良-掛川層群比木層 という砂と泥からできた地層であり、工学的には軟岩に分類される。 この点の脆弱性を指摘する文献もある[91]。 耐震性に対する懸念 [編集]地震学者の茂木清夫は2004年、週刊誌に発表した記事で原子力発電所の耐震設計指針で規定された上下動の水平動に対する2分の1規定に次のような批判をしている。 阪神・淡路大震災で石が飛んだという話を紹介し「石が飛ぶということは上下方向に約1000ガル以上(阪神大震災では818ガルを観測)の加速度があったことを意味し、2分の1どころか、水平方向の地震力にも匹敵する大きな振動もありうる」と想定し、1、2号機は耐えられない旨断定した。 また、もんじゅやロケットの打ち上げ失敗を例に、技術立国と言う過信に依存する日本の大衆一般の思考そのものを批判している[92]。 元東芝で原子力発電の格納容器の耐力研究をしていた後藤政志は、格納容器の耐力には限界があり、2007年の新潟中越沖地震で柏崎刈羽原子力発電所に993Galの震動があったことを聞き、原子力は止めるべきだと思ったと語っている[93] 耐震裕度向上工事に対しても懸念は表明されている。 石橋克彦は2005年、本発電所で1000Galへの補強工事が発表された際「どこまで丈夫にしたら大丈夫なのかということは、はっきしているわけではございません」[94]と公述した。 また原子炉へのリスク評価として「原発震災のリスクというものをきちんと評価して、その危険度の高いものから順に段階的に縮小する。 必然的に古いものが縮小されることになると思います」 [95]と未曾有の巨大地震を前提とした耐震性へのランク付けの必要性を求めている。 上述した新耐震基準を反映させるためのバックチェック作業に対しても、想定地震が過小評価されていると批判する者が居る[96]。 プラント全体の震動に対する懸念 [編集]原子炉建屋や個別の建屋が地震に耐えたとしても、プラント全体として冷温停止するための諸機能が維持されるのかという問題が『原子炉時限爆弾』などで指摘されている。 原子力発電所でもっとも脆弱な箇所は原子炉建屋とタービン建屋を繋ぐ配管であるとされる。 建造物の固有振動数が異なる為、地震により配管が捩じ上げられて破損する危険性はきわめて大である[要出典]。 浜岡原子力発電所はBWRである為、タービン配管の破損は原子炉の冷却水の喪失を意味し、スクラム(制御棒を全て挿入し停止させる事)をかけてもメルトダウンが避けられない状態になる[要出典]。 |
(つづく)