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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

「天」太陽の投稿記事

『終末と太陽の検証』

その他・つれづれ・近況 NO 90022


MFコメント 2008/02/24

● 昨日から酷い風が吹き、空は 粉塵で黄色くなっ
ていて、散歩すると粉塵が身体にあた痛く、散歩のコ
−スを変えてしまった。
報道では 「春一番」が吹いたと発表していた。
神奈川に来ているロックさんとたいちゃんも驚いたか
もしれない。

● 過日、ルフランさんから、古代史「残された謎」
関著の案内をいただいた。
著者の関氏は 表の日本史にたいする裏の日本史の検
討をしている方で、裏を見る場合の方法論が私と似て
いることが分かり、楽しく拝読した。
1.私の生まれ育った筑後から日田が古代史に意味が
あると説明ある。
大和の国の周囲の地名と日田を中心とした周囲の地名
がよく似ていることは 不思議として語られていた
が、この著者のように二つの大和という概念が正しい
とすると、古代史の裏を良く説明していると思われ
る。
2.丹後国風土記の「天の羽衣伝説」に興味をもっ
た。
この「天の羽衣伝説」は 次ぎのような内容である。
{・・・丹後の国の丹波(京都府中郡)「比治の里」
(ひじのさと)の比治山(ひじやま)の山頂に井戸
(真名井)「聖なる和泉とでもいいましょうか!」が
あって、ある時、8人の天女が舞い降りてきて沐浴
(水浴び)をしていた。
たまたま通りかかった老夫婦が、一人の天女の羽衣を
奪ってしまった。・・・}
(p193)
この内容で、やたらと比治(ひじ)の音がでてくるか
ら興味をもったしだいである。
この比治の里というのは 今の大阪の国「山部の比
治」を置いたことによるそうである。
{・・・・比治ひじの里、土はまあまあや。
比治ひじとゆうんは、難波なにわの長柄ながらの豊前
とよさきで国を治おさめてた。
孝徳天皇の時に、揖保いいぼの郡を分けて宍禾しさわ
の郡を作った時に、山部やまべの比治ひじをここの里
の大将にしたんや。
そいで、この人の名が里の名前になったんや。
(宍禾しさわの郡は伊和の大神の本拠地。大和朝廷と
の戦いに敗れて、宍禾しさわの郡は揖保郡に組み込ま
れ無くなっていた。それが孝徳天皇の頃に、再び宍禾
しさわ郡として復活した。但し、上に立つ役人は大和
朝廷から派遣された。比治は山崎町の南部で揖保川西
岸。)・・・・}

● 最近、偶然に「氷治」の名字の女性の名前がある
ことがわかった。
この女性の名前は 我々氷治の一族にいないようであ
る。
今、誤字なのか、昔、分かれて関西か関東かへ行った
という「ひじ」の子孫なのかを調査している最中であ
ったし、住所が岐阜県岐阜であるようであるので、関
西の「ひじ」について再度調べ直す必要があると考え
た。
昔 、群馬県に肘(ひじ)の性を使っている一族がい
ることは わかっていたが・・・・
今頃、こんなことがぞろぞろと分かってくるのは 何
かいみがあるのかもしれない。


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