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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

「天」太陽の投稿記事

『終末と太陽の検証』

お役立ち情報 NO 940004


MFコメント 2007/11/28

禁酒・節酒?して、久しい。
昔は いわゆる交際・営業として、飲酒は必すうであるので、飲みたくなくとも飲まなければならないこと
がある。
昔は 営業の為に体調が悪くても飲みたくないと思ってもつき合いで、ほとんど毎日飲んでいた。
最近は それも無くなり、極めて健康な毎日を送っている。
そのうちにカクテルを楽しもうと、二十歳の時、新宿のバ−テンダ−・スク−ルに通い、バテンタンダ−の資格も持っているが、それも最近の生活では無駄になっている。
今は 11月、来月は 師走となり、巷では 何かとお酒をのむことが多くなる。
そのときに必要なことは 行儀見習い・マナ−を良くして、楽しく飲むことであるが、酔っぱらってしまうと、何かとたがが外れて、見苦しい姿を挺することになる。

● デブと言われ心に傷…「侮辱」酔客に賠償命令
下記は 酔客が店の女性を侮辱した判決である。
裁判官が女性でデブと云われたことがあるのかもしれないが、弁解を一刀両断にして罰金刑を言い渡してい
る。
皆さんも、「飲むなら乗るな、乗るなら飲むな」ではないが、「飲むなら楽しく、不快になるなら飲むな」を心得とし健康に配慮した良い楽しい酔っぱらいを地でいくと良いのではと思う。

● 飲み会何でも研究所
良い楽しい酔っぱらいになるために!・・・・

● 日本の「盲点」に切り込む 「酔っ払い」の「世界標準」と日本人の文明度アルコールとのつきあい方は「社会の鏡」である。
★ なんとなく、固い内容で悪酔いするかもしれないが参考の為に・・・・・

 

===3===================
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071128-00000001-khk-l04
● デブと言われ心に傷…「侮辱」酔客に賠償命令
11月28日6時12分配信 河北新報

 経営する小料理店の客に「デブ」と繰り返し言われ、精神的苦痛を受けたとして、仙台市青葉区の30代の女性が同市の60代の税理士男性に300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は27日、「女性を侮辱する言葉で許されない」として、男性に30万円の支払いを命じた。
 判決によると、男性は2006年6月5日午後、開店準備中の店を訪れ、ビールや日本酒、おつまみを注文。
女性が用意したニラ玉に、「甘すぎる」「こんな物で金が取れるほど世の中甘くない」などと言い掛かりをつけた。
 その後、男性は「デブ」と繰り返し侮辱し、女性が「薬の副作用で太っている」と言うと、「ニラ玉が甘いのも薬のせいか」などとののしった。
 女性は3日前に母親から店を継いだばかりで、男性の言葉に動揺して店を開けられなくなり、同月8日に受診した病院でうつ病と診断された。
 伊沢文子裁判官は「客が酒の勢いで従業員に乱暴な言葉をかけてくることがあり得るとしても、おのずと制限はある」と指摘。
「『デブ』とは言っていない」とする男性の主張を「信用できない」と退けた上で、「『デブ』は調理や料理の味、店の経営とは何らかかわりのない言葉。限度を超え、許される範囲のものとは考えられない」と述べた。

最終更新:11月28日6時12分

===2===================
http://www.hotpepper.jp/doc/bounenkai/nandemo/manner.html
● 飲み会何でも研究所

「今夜は無礼講で!」と言われたからといって、無法地帯と勘違いし、自分ひとりが勝手気ままに振るまっては、せっかくの楽しい雰囲気も台無しに……。
飲み会の鉄則は、参加者全員が楽しむこと! 最低限のマナーを知って自分も楽しく、周囲も楽しめる飲み会にしましょ。
<お酒の注ぎ方>
ビール、ワイン、カクテル、日本酒に焼酎。エレガントな注ぎ方をマスターしちゃおう!<上手なお酒の断り方>
飲めない人も、もうこれ以上飲めないと言う人も、上手にお酒を断って、気持ちよく!
<お店へのマナー>
あまりにヒドイマナーだと「出入り禁止!」を宣告せれることも??????。
お店の人にも好かれちゃう人になろう!
<その他のマナーQ&A>
「乾杯は、必ずグラスを合わせて」は○?×?意外に知らない素朴な疑問を解決。

===1===================
http://www.president.co.jp/pre/20010305/03.html
ウォルフレン参上!
● 日本の「盲点」に切り込む 「酔っ払い」の「世界標準」と日本人の文明度アルコールとのつきあい方は「社会の鏡」である
アイルランドでは、お酒は伝統的に家の外で飲まれ
た。
「男」と「男の子」を区別するためだ。
イタリアでは食卓にいつもワインがあり、子供たちは「酔いすぎないように飲む」方法を学ぶ。
お酒を「健康」の文脈だけでなく「文化」の文脈で見ると、社会の価値観や時代の背景が見えてくる。
日本人とお酒との関係は、決して悪くないと私は考えている。
ただ一つのことを除いては。
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アムステルダム大学 教授カレル・ヴァン・ウォルフレン = 文
text by Karel van Wolferen
かれる・ヴぁん・うぉるふれん●1941年、オランダ生まれ。 72年よりオランダの高級紙の東アジア特派員。
89年に『日本/権力構造の謎』を出版し、国際的ベストセラーになる。
97年より大学で教鞭をとりながら、激変する日本と世界の政治経済の分析に力を注ぐ。
藤井清美 = 翻訳
高山浩数 = 撮影
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<飲酒に対して神経質な社会ほどアル中を生む>
「酔っ払い」の「世界標準」と日本人の文明度アルコールとのつきあい方は「社会の鏡」である
これから一杯やるつもりだと言うと、少なくとも私がこれまでに訪れた国では、返ってくる反応はどこでも同じだった。
ニヤリとするか、顔をしかめるかの、どちらかである。
ちょっと旅慣れた人なら、こんな体験もお持ちかもしれない。
バンコクのタクシーでも、イタリアの列車でも、トルコのレストランでも、メキシコのホテルでもかまわない。
たまたま同席した行きずりの人と話し始め、まもなく相手も自分と同じく一杯やろうと思っていることがわかって、どちらもニヤリとする……。
このときの嬉しさは、言葉が通じない場合のほうがえてして大きい。
飲酒にはどこか秘密の悪事の匂いがある。
ニヤリという笑いは、「同じ悪さをするんだから、あなたと私はもうまったく見ず知らずの他人ではありませんね」という気持ちを伝え合うサインなのだ。
 もちろん、しこたま飲んだ翌朝など、アルコールのことを考えただけで渋面になることもある。
しかし、本当に顔をしかめるのはあなたの周囲の人たちだ。母親や妻など、あなたの健康になんらかの責任を感じている人たちで、彼らはあなたがいつも素面でいることを望んでいる。権威者としての立場がある人たちも、飲酒には決まって渋い顔をするようだ。社会改革を唱える活動家、公衆衛生に携わる役人、警察官、まじめさで売ろうとしている政治家などが、「飲酒は健康によくない。あなた自身の健康にも、社会の健康にも有害だ」と、さかんに警告してくれる。「ニヤリ」派と「渋面」派では、「渋面」派のほうがまちがっていると私は思う。異国の地でたまたま言葉を交わした行きずりの人間が、自分と同様一杯やろうとしていることがわかったときに浮かぶ笑みは、人間の基本的な反応で、仲間意識が生まれる方向への大きな第一歩だろう。
 一緒に飲むということは友好的な関係を持つということだ。酒を酌み交わすところから文明が始まる。人間の行動や社会を研究している学者たちは、飲酒はなによりも社会の道徳的慣習の表れであって、単なる個人的行為ではないという事実を指摘している。
 宗教的儀式はむろんのこと、社会生活の重要な場面でも、アルコールの果たす役割は大きい。私は先日、スコットランドのエジンバラで行われた結婚式に招かれたが、三日間にわたったこの結婚式では、バグパイプとハイランド・ダンスに加えて、シャンパンとシングルモルト・ウイスキーが途切れることはなかった。この式からアルコールを取ったら、「本当の結婚式」にはならなかったはずだ。
 では、なぜ酒というと顔をしかめる人がいるのか。それは彼らが飲酒をまちがった視点から捉えているからだ。飲酒という社会的行動を、もっぱら医学的・化学的見地から捉えているからだ。たしかにアルコール依存症は恐ろしい病気だが、アルコールを人間の病や社会の病理と直結させる見方のほうが、逆にアルコール依存を助長する危険性が高い。たとえば、アメリカの教育関係者や公衆衛生関係者は、飲酒をやめるよう指導すべきだと考えているが、そうすることで逆にアルコール依存の問題が悪化する
恐れもないとはいえない。
 アルコール依存はアルコールが絡んだ問題ではあるが、他人に迷惑をかける酔っ払いが生まれる原因は、なによりもまず社会の慣習にある。たとえばアイルランドの文化と、イタリアやユダヤの伝統的な文化を比べてみると、この点がよくわかる。アイルランド人にとってアルコールは昔から家の外で飲むものであり、飲酒は一人前の男の証、憂さを忘れるための行為であった。男が酔いつぶれて帰ってきても、妻はおおらかにそれを迎えるのである。それに対しユダヤ人やイタリア人の家庭では、ワインなどのアルコール類は家族の集まりや宗教行事の際に飲むものであり、したがって、たいていの人が飲んでも乱れることはない。子供たちはその中でアルコールとの上手な付き合い方を学んでいく。

< 日本人はもともと「品のいい」酒飲みだ>
「酔っ払い」の「世界標準」と日本人の文明度アルコールとのつきあい方は「社会の鏡」である
 では日本は、「アルコール文化」という点で、どのあたりにランクされるだろう。かなり高位置にくるはずだと私は思う。もちろん顔が赤くなる人は多いが、日本人の友人や知人と飲んでいて、不愉快な気分にさせられたことは長年の間に一度もない。杯から溢れんばかりに注がれる酒を別にすれば、溢れんばかりに満ちていたのは親愛の情だけだった。私より何十年も前に日本に来た外国人が書いたものを読むと、かつての日本人は今以上に品のいい飲み方をしていたらしい。ところが敗戦後の鬱屈、復員兵が持ち帰った習慣、(飲酒についての考え方が異なる)アメリカの占領によって、粗野な飲み方が出てくるようになったのだという。撮影・宇佐見利明
 ストレスのある状況下で文化と文化が衝突する場面では、粗暴な酔っ払いが生まれやすい。大陸ヨーロッパを訪れるイギリスの観光客は、この点で悪名高い。自国のビールを飲むのと同じ調子でフランス・ワインをがぶ飲みし、大声でわめいたり、歌ったりするのである。自分たちの行動が顰蹙を買っていることなど気づきもしない。若者が集団で行動しているときは特にひどく、やたらと物を壊して回る。日本のサラリーマンが酔いつぶれたり、電車の中で吐いたりするのは、彼らがストレスを抱えている証拠で
ある。しかし、彼らはおおむね他人に粗暴な振る舞いをすることはない。
 したがって日本の社会は、「深酒した状態での文明度」という点で、国際的に見てもかなり上位にくるはずだ。ただ一つだけ、いただけない点がある。アルコール類を嗜むことには美的な一面がある。

口の中で展開される「美」とでもいえようか。おいしい食べ物をそれにピッタリのワインとともにいただくと、えもいわれぬ世界が広がる。日本酒についても同じことだ。全国各地で地酒が造られ、甘辛度もさまざまな日本酒は、そのバラエティーの豊かさでフランスのワインを凌ぐのではなかろうか(個人的には日本酒度+4前後の、できれば青森の酒がお勧めだと思う)。ところが信じがたいことに、おいしい和食を出す店で、すばらしい日本酒が選べるところはほとんどない。それどころか、ほかの客たちは、米から造られた最高の飲み物をさしおいて、三級品のウイスキーを水で割って飲んでいるのである。
 日本酒のバラエティーの豊かさは文化的偉業であり、ユネスコが保護に乗り出してもおかしくない見事
な文化財である。本物の酒が一銘柄たりとも、また日本各地にある小さな蔵元が一軒たりとも、人類の文化遺産から失われることのないよう、今晩から食事の際にはぜひとも日本酒を嗜んでいただきたい。


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