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太陽(ミロク)原理・ひふみ解読編

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一二三神示

シオンの賢人議定書の検討終末と太陽の検証

シオン賢人議定書NO 02

 我々(ユダヤ人)の目的には戦争は、欠くべからざるものなのである。が、できる限り、戦争が領土的な利益をもたらさぬように仕向けるべきなのである。さすれば、戦争は 経済に基盤を置くようになり、各国は 我々(ユダヤ人)の支配の強力さを思い知らされるであろう。また、当事国は、双方とも我々が国境を越えて放った代理人団の思うがままに操れるのである。朕は、如何なる制約があろうとも、やつら(非ユダヤ人=畜生)が百万の眼を持っていて監視するから、身動きがとれぬなどということはないであろう。世界にまたがる我々(ユダヤ人)の権利は、各国の権利を一掃するだろうが、国家の市民法が国民の関係を律するのと全く同じように、普通の権利という意味で、我々の権利が正確に各国を律するであるろう。

 我々(ユダヤ人)が公衆の中から選んだ行政官たちは、奴隷のように従順な資質であるかどうかを厳しく監視され、支配技術に長けた人物にはさせない。それゆえに、やつらが、全世界の諸問題を律すべく幼年期より養育された助言者・専門家である学識者と天才の手の内にある駒となるのは容易なのである。諸氏(ユダヤ人の賢人会のメンバ−)もご存知のように、これら我々(ユダヤ人)の専門家たちは、歴史の教訓や一瞬一瞬の現実の出来事の観察から、我々(ユダヤ人)の政治計画に必要とする知識を体得しておる。畜生(非ユダヤ人)共は、偏見なく歴史的観察を実際に適用することなく、一連の結果に厳しい批判を加えることなく空理空論に走るのである。ゆえに、我々は、やつらに一顧も与える必要もない。時が一撃をくらわせるまで楽しませてやろうではないか。過去の栄光に新しい形を与える希望に生きさせてやろうではないか。古き良き思い出にひたらせてやろうではないか。やつらには、我々が「科学が説くところでは」(学説)と吹きこんだことを後生大事にいつまでも守らせておこうではないか。我々が一貫して、新聞を通じて、声を大にしてそれらの学説を盲信させておるのは、そのことが目的なのである。畜生(非ユダヤ人)共の知識人たちは、やつらの知識にいい気になり、論理的検証を行なうことなく科学から得た知識すべてを信じこむであろう。その知識たるや、我々の代理人団たる専門家が、畜生(非ユダヤ人)共の心魂を手なづけて我々が望む方向におもむかせんが為に、巧みに断片を寄せ集めたものなのである。

 ここに述べたことは根も葉もないことであるとは、瞬時たりとも考えんでいただきたい。我々が仕掛けたダーウィン主義、マルクス主義、ニーチエ主義が、いかに功を奏しておるかに注目していただきたいのである。我々ユダヤ人にとっては、少なくとも、これらの指導者たちが畜生(非ユダヤ人)共の心魂に及ぼしたことどもを直視すれば、事は、明白であるはずなのであるから。

 政治上の、また、行政上の諸問題の方向において、些細な誤りを避ける為には、各国民の思想、性格、傾向を顧慮することが絶対に必要なのである。我々(ユダヤ人)の方式は、我々(ユダヤ人)が遭遇する人民の気質に応じて、さまざまに仕組の組み合せが案配されるが、もしも現在の光に照らして過去の教訓を集約することを怠れば、この方式の勝利はおぼつかぬであるろう。

 今日の国家は、人民の世論を創り出す強力な力をその手に持っておるのである。すなわち、それは、新聞なのである。新聞が果たす役割は、必要欠くべからざると考えられることを指摘し、人民の愚痴に、はけ口を与え、不平不満を表明し作り出すことに有るのである。言論の自由の勝利が具体的になるのは、新聞においてなのである。であるが、畜生(非ユダヤ人)共の国家は、いかにこの力を効果的に使うかについては知っていたためしがなく、したがって新聞は、我々の手中に落ちた。新聞を通じて、我々は、その背後にあって、影響力を行使したのである。ヴァイスマン博士が、我々が血と汗の大洋を越えて集結してきたにもかかわらず、金力が我々(ユダヤ人)の手中にあることを知悉しておることは他言を要さない。我々(ユダヤ人)である為に、あまたの同胞を犠牲にしてきたが、十分に報いられておるのである。わが方(ユダヤ人たち)の犠牲の一人一人は、神の見られるところでは、畜生(非ユダヤ人)共一千人に相当するのである。




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