まつりまつりと、くどく申して知らしてあるが、まつり合はしさへすれば、何もかも、うれしうれしと栄える仕組で、悪も善もないのぞ、まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ、この道理分りたか、祭典(まつり)と申して神(![]() ![]() ![]() ![]() |
まつりまつりと、くどく申して知らしてありますが、この世の全てとまつり合わしさえすれば、何もかも、うれしうれしと栄える仕組で、悪も善もないのです。神仕組に従い
まつれば悪も善の働きをします。まつらねば善もないのです。この道理分りましたか。祭典(まつり)と申して神ばかり拝んでいるようでは何も分りません。
そんな我れよしでは太陽(ミロク)の臣民とは申せないのです。早くまつりてくれと申すことの意味は複数あります、よくきき分けてください。
われがわれがと思っているのは天地と調和(まつり)していない証拠です。鼻高となればポキンと折れると申してある道理よく分るでしょう。この御道は鼻高と取りちがいが一番邪魔になるのですと申すのは、慢心と取りちがいは「まつり」という御用の邪魔になるからです。
ここまで詳しく申せばよく分かるでしょう。何事も真通理(まつり)が第一です。
八月の二十九日、 の一二
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yuru63:2014/08/12
神示の云う「まつり」は、この世と調和することから、仕組や、働きに関することなど多数の意味を伝えているようです。
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