神()の堪忍袋 切れるぞよ、臣民の思ふやうにやれるなら、やりて見よれ、九分九厘でグレンと引繰り返ると申してあるが、これからはその場で引繰り返る様になるぞ。誰れもよう行かん、臣民の知れんところで何してゐるのぞ、神()には何も彼も分りてゐるのざと申してあろがな、早く兜脱いで神()にまつはりて来いよ、改心すれば助けてやるぞ、鬼の目にも涙ぞ、まして神()の目にはどんな涙もあるのざぞ、どんな悪人も助けてやるぞ、どんな善人も助けてやるぞ。江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、江戸は何うしても火の海ぞ。それより他 やり方ないと神々()様申して居られるぞよ。秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、臣民かれて根の残らぬやうなことになりても知らんぞよ、神のこのふみ早う知らしてやって呉れよ。八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ、これでこの方の神示の終わりぞ。この神示は富士(二二)の巻として一つに纒(まと)めておいて下されよ、今に宝となるのざぞ。八月の三十日、 のひつ九 。 |
太陽(ミロク)の堪忍袋 切れますよ、臣民の思うようにやれるなら、やってみてください。九分九厘でグレンと引繰り返ると申してありますが、これからはその場で引繰り返る様になるのです。
誰れも行くことのできない、臣民の知らないところ(月内部など)で何しているのですか。太陽達には何も彼も分っているのだと申しているでしょう。早く兜脱いで太陽(ミロク)にまつわって来なさい。改心すれば助けてやります。鬼の目にも涙です。まして太陽(ミロク)の目にはどんな涙もあるのです。どんな悪人も助けてやります。どんな善人も助けてやります。
江戸と申すのは東京ばかりのことではないのです。今の様な都会はみなエドといいます。都会は何うしても火の海です。
それより他に やり方ないと宇宙の神々様申して居られますよ。
秋ふけて草木枯れても根は残るのですが、臣民かれて根の残らぬようなことになっても知りませんよ。神のこの文を早く知らしてやってください。
八と十八と五月と九月と十月に気をつけてください。これで この方「 のひつ九 」の神示の終わりです。
この神示は富士(二二)の巻として一つに纒(まと)めておいて下さい。今に宝となるのです。
八月の三十日、 のひつ九 。
http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/sunmoon/123_03_huji/fuji_03_107.htm
より
氷治氏この帖は 106 の続きとして読まれると良いとおもいます。前半は神の臣民となる人物達が、分けが分からなくて勝手なことをしているのを叱責しているような内容です。 ここで、「ひふみ神示」で使われている「江戸という語彙」の意味の説明がしてあります。普通ですと、江戸とは東京と考えますが、この神示では東京のような都市=東京都・名古屋・大阪・などなどの全ての都市を総称していると説明してあります。このような表現の方法は「諸世紀」にもありました「---逃げろ逃げろ全てのジュネ-ブ----」のジュネ-ブは幾つもありませんので、ジュネ-ブのような都市から逃げろというのを、一つの都市の名前で代用しています。ここで、「江戸は火の海」=「諸都市は火の海」になることを説明していますので、「ひふみ神示」での「火と水」の「火」は都市攻撃によって焼き払われることを説明していることがわかります。岩戸開きが起こるのは「秋立ち」ですが、この帖には終わるのが「秋ふけて~臣民かれて・・・・」となっています。従って、9月下旬から11月上旬が都市攻撃の期間ということになります。(他の帖から開始の正確な日付は旧9月8日とありますので、10月上旬から11月の上旬の約1ヶ月間以内に都市攻撃は完了すると推定されます。) 他には「八と十八と五月と九月と十月に気つけてください。」とあるところです。これが新暦で表現されているとすると、「諸世紀」では「都市攻撃」の開始が10月の上旬(フランス時間で3日頃)、「ノアの大洪水」の開始が5月の上旬(フランス時間で9日頃)ですから、このことを説明しているのかもしれません。 |
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