本文へスキップ

フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三479

青葉の巻 第10帖 (479)

 よき神()にはよき御用、悪き神()には悪き御用、自分で自分がつとめあげるのぢゃ、人になんと云はれても腹の立つ様では御用六ヶ敷いぞ、腹の立つのは慢心からぢゃと申してあろうがな。仕組途中でグレンと変わり、カラリと変わる仕組してあるのぢゃ、其処に一厘の仕組、火水の仕組、富士と鳴門の仕組、結構々々大切致してあるのぢゃ。仕組変わり変わりて人民には判らんなり、よき世と致すのぢゃ、いくら智あっても人間心では出来ん仕組ぞ、智捨てて神()にすがりて来ねば分らん仕組ぢゃ、と云ふて人間世界は人間の智いるのぢゃ、智でない智を神()が与へるぞ、神()人共にと申してあろうがな、つとめ上げたら他にない結構な御用。八月三日、ひつ九

 よき神にはよき御用、悪き神には悪き御用を自分で自分がつとめあげるのです。人になんと云われても腹の立つ様では御用は難しいのです。腹が立つのは慢心からだと云ってあるでしょう。
 仕組は途中でグレンと変り、カラリと変る仕組をしてあるのです。其処に一厘の仕組、火水(ひみつ)の仕組、富士と鳴門の仕組、結構々々大切に致して(組み込んで)あるのです。
 仕組が変わり変わりして人民には判らないのです。よき世と致すのです。いくら智があっても人間心では出来ない仕組です。智を捨てて太陽(ミロク)達にすがって来ねば分らない仕組です。と云っても人間世界では人間の智もいるのです。智でない智を太陽達が与えます。神人共にと云ってあるでしょう。つとめ上げたら他にない結構な御用です。
 八月三日、ひつ九


解説と補足説明

  • ゆるむぞー(yuru63):2025/01/02
     富士と鳴門のような逆のものが組み合わさった働きにより神世を導くという、善悪を超越した立場による仕組のようです。
     
    (富士と逆さ富士・逆さ富士→鳴門のイメージ)


年月日

昭和二十二年八月三日
 旧閏六月十七日(1947年)

>>戻る