本文へスキップ

フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三480

青葉の巻 第11帖 (480)

 世界一目(ひとめ)に見へるとは世界一度に見へる心に鏡磨いて掃除せよと云ふ事ぢゃ、掃除結構ぞ。善と悪と取違ひ申してあらうがな、悪も善もないと申してあらうがな、和すが善ざぞ、乱すが悪ざぞ、働くには乱すこともあるぞ、働かねば育てては行けんなり、気ゆるんだらすぐ後戻りとなるぞ、坂に車のたとへぞと申してあろがな、苦しむ時は苦しめよ、苦の花咲くぞ。世は七度(ななたび)の大変わり、変る代かけて変らぬは、誠一つの九(こ)の花ぞ、九(こ)の花咲くは二三(ふみ)の山、二二(ふじ)は神()山、神()住む所、やがて世界の真ん中ぞ。八月三日、ひつ九の

 世界一目(ひとめ)に見えるとは世界一度に見える心に鏡を磨いて掃除せよと云う事です。掃除は結構です。
 善と悪とを取違いしていると云ってあるでしょう。悪も善もないと云ってあるでしょう。和すことが善です。乱すのが悪です。働くには乱すこともあります。働かねば育てては行けないのです。気がゆるんだらすぐ後戻りとなります。坂に車のたとえですと云ってあるでしょう。苦しむ時は苦しみなさい。苦の花が咲きます。
 世は七度の大変りとなります。変る代かけて変らぬのは、誠一つの「九(こ)の花」です。九(こ)の花が咲くのは二三(ふみ)の山、二二(ふじ・普字)は神山で、太陽達が住む所、やがて世界の真中です。
 八月三日、ひつ九の


解説と補足説明

  • ゆるむぞー(yuru63):2024/08/14
     善と悪をつくりだし、悪を排除するという世界から、善も悪もなくそれぞれの働きが和し素晴らしい運行をもたらすという「」の様な姿への道しるべが伝わります。その真中のゝと〇の和合が九(光・球)の花なのかもしれません。


年月日

昭和二十二年八月三日
 旧閏六月十七日(1947年)

>>戻る