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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三487

青葉の巻 第18帖 (487)

 改心とはアホになることざぞ、世界中のアホ中々ぢゃ、中々アホにはなれまいがな。世界中の人民に云ふて聞かして改心さすのではキリがないから大変を致さなならんのざぞ。六ヶ敷いこと申してゐるが平とう説かねば判らんぞ、世界の説教をよく聞きてくれよ、天の教、地の導き、よく耳すまして聞きとれよ、神()の心 段々に判りて来るぞ。この者は見込ないとなったら物云わんぞ、もの聞けん様になったら、神示いやになったら其の守護神 可哀想になるのざぞ、見込なくなれば神()は何も申さんのざぞ、今の内に神示肚に入れよ。八月五日、ひつ九の

 改心とはアホになることです。世界中のアホになることは中々難しいのです。中々アホになれないでしょう。
 世界中の人民に云って聞かして改心さすのではキリがないから大変なことを致さねばならないのです。
 難しいこと云っていますが平易に説明せねば人民には判りません。世界にちりばめられている説教をよく聞いてください。天の教、地の導きをよく耳すまして聞きとってください。太陽達の心が 段々に判って来ます。
 この者は見込ないとなったら物云いません。もの聞けない様になったら、神示がいやになったら其の守護神 可哀想になるのです。見込なくなれば太陽達サポートの神達()は何も云いません。今の内に神示を肚に入れなさい。
 八月五日、ひつ九の


解説と補足説明

  • ゆるむぞー(yuru63):2023/07/23
     アホとは常識を逸脱するような思考の持ち主なのかもしれません。普通のセオリーを無視して超越しているともいえます。自身の心の奥の陽氣から湧き上がる思いのままに動くと外からはアホに見えることもあるでしょう。


年月日

昭和二十二年八月五日
 旧閏六月十九日(1947年)

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