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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三490

青葉の巻 第21帖 (490)

 神()が引寄せるからと申して懐手してゐては道は拡まらんぞ、弥栄とは次々に限りなく喜びをふやして養って行くことざぞ、喜びとはお互ひに仲よくすることぞ、喜びは生きものぞ、形あるものぞ、色あるものぞ、声あるものぞ、判りたか。教会つくれと申しても今迄の様な教会ではならんぞ、今迄の教会も元はよいのであるぞ、いづれも取次役員がワヤにいたしたのぢゃ、神()の心からはなれて人間心となったからぢゃ。神()の動きは、アヤワ ざと申してあろが、それをヤワ となしワ と致し、 となし にして分らんことにいたしたのぢゃ、タマなくなって その上に上下、下ひっくり返ってゐると申してあらうがな、分りたか。八月十一日、ひつ九の

 神仕組が引寄せるからといって懐手していては道は拡まりません。弥栄とは次々に限りなく喜びをふやして養って行くことです。喜びとはお互いに仲よくすることです。喜びは生きものです。形あるものです。色あるものです。声あるものです。判りましたか。
 教会つくれといっても今迄の様な教会ではなりません。今迄の教会も元はよいのです。いづれも取次役員がワヤにいたしたのです。神の心からはなれて人間心となったからです。
 計画による太陽達の動きは、アヤワ だと云ってあるでしょう。それをヤワ となしワ と致し、 となし にして分らないことにいたしたのです。タマである皆が集う中心サイトがなくなって その上に上下の認識も、下(下巻として認識する内容も)ひっくり返っていると云ってあるでしょう。分りましたか。
 八月十一日、ひつ九の


解説と補足説明

  • ゆるむぞー(yuru63):2023/06/03
     原因と結果の様な順序で理解することが求められているのかもしれません。ひっくり返った認識により、真実が分からなくなっている現状に当てはまっているようです。


年月日

昭和二十二年八月十一日
 旧閏六月二十五日(1947年)

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