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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三50-073

竜音の巻 第14帖 (073)

 幽界霊も時により正しく善なることを申すなれど、それは只申すだけであるぞ。悪人が口先だけで善を語るようなものであるぞ、よいことを語ったとて直ちに善神と思ってはならん。よい言葉ならば、たとへ悪神が語ってもよいではないかと申すものもあるなれど、それは理屈ぢゃ、甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないかと申すことぞ。真の善言真語は、心、言、行、一致であるから直ちに力する、言葉の上のみ同一であっても、心、言、行、が一致しておらぬと力せぬ。偽りの言葉は、落ちついてきけばすぐ判るぞ、同じ「ハイ」と言ふ返事でも、不満をもつ時と喜びの時では違ふであろうがな。われは天照太神なり、などと名乗る霊にロクなものないぞ、大言壮語する人民はマユツバもの。
平易意訳

 幽界霊も時により正しく善なることを言うのですが、それは只 言うだけなのです。
 悪人が口先だけで善を語るようなものなのです。よいことを語ったとしても直ちに善神と思ってはなりません。
 よい言葉ならば、たとえ悪神が語ってもよいではないかと言うものもあるのですが、それは理屈です。「甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないか」と言うことと同じです。
 真の善言真語は、「心」、「言」、「行」、が一致しているのですから直ちに力するのです。言葉の上のみ同一であっても、心、言、行、が一致しておらないと力しません。
 偽りの言葉は、落ちついてきけばすぐ判るのです。同じ「ハイ」と言う返事でも、不満をもつ時と喜びの時では違うでしょう。
 われは天照太神なり、などと名乗る霊にロクなものはないのです。大言壮語する人民はマユツバものです。


解説と補足説明

  • サニワの方法のつづきです。


年月日

昭和三十六年八月三日
 旧六月二十二日(1961年)

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