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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

太陽(ミロク)原理ひふみ神示

ひふみ神示の解析NO1(天空編NO.488)

太陽のコメント

  • 「ひふみ神示」を岡本天明氏に書かせた背後の存在は現状ではわかりません。

    言葉遊びが好きらしく、言霊と「ひふみ神示」の中で説明しているので、そのせいかもしれません。

    ただ、神示の中で、100年位の期間について言及しているようですので、「自動書記」をした日本の方たちを追跡すれば、

    「最近の背後の存在の活動期間」

    が推定できるのかもしれません。

    江戸時代から明治にかけて、神懸かりして自動書記をした方たちは結構たくさんいることがわかります。

    また、「ひふみ神示」の中で、日本語でも英語でも関係がないような説明もしていますので、その本質的な伝達方法は言語によらない、第三の伝達の方法と考えられます。

    そして、その内容は「自動書記」をする方たちの脳のデ−タにリンクされて、その人物の経験や性格や知識で修飾されて、「自動書記」の形で出てくるようです。

    明治維新後の日本の場合、代表的な存在は「出口なお」氏です。

    彼女が「自動書記」を開始する前、神懸かりし始めて、最初の説明が

    「出口なお!私の伝達者として、お前を最低の生活や家庭環境の状態にした」

    と、その存在は「出口なお」氏に説明しているようです。

    そのことから、「自動書記」の対象とする人物は現代の社会では金銭的にも家庭環境も最低の水準にしてから、おもむろに神懸かりをすると考えられます。

    事実、岡本天明氏の経済的な不満に対しての説明が「ひふみ神示」の中には見られますし、「出口なお」氏が神懸かりして「自動書記」を始めるまでの人生は惨憺たるありさまだったようです。

    従って、神懸かりする背後の存在はその人物だけでなく、その環境をも干渉して変化させる能力を持っていると考えられます。

    また、神懸かりしてからはその人物の生活は生かさず殺さずの状態になります。

    金持ちにはしないが、貧乏して生活苦で自殺するような状態にもしないようです。

    「よく言えば清貧、悪く云えば超貧乏人」

    というようなことです。

    考えようによれば神の僕(しもべ)として選ばれるわけですから、それだけ、どん底の環境に置いて、俗世の個人的な物欲などを取り上げないと、自動書記の対象者とはなれないのかもしれません。

    逆に言えば、それだけに人類の社会に対して、これら「自動書記」をさせられた人物の環境保護=結界のようなものを設けていることが、読みとれます。

    ここで、問題になるのが、背後の存在は単数か複数かです。

    もし、複数であれば、あちらこちらで自動書記をさせているのかもしれませんが、その様な形跡もないようです。

    そうすると、この存在は単数で、あちらこちらの人物に神懸かりして、その人物の経験を使いながら「神示」のようなものを自動書記をさせていると考えられます。

    岡本天明氏以後に顕著な「自動書記」をした方はいないようですので、

    その存在はここ50年間くらい、

    行方不明!

    日本を離れた! 

    地球を離れた!

    などが考えられます。

    そこで、私としては

    「−−−神の伝令のイリシスは 50年間現れなくなり、太陽は50年間孤独になる−−−」

    と予言されている

    「神の伝令のイリシス」

    ではないかと推定しています。

    ただ現状の手持ちの情報だけですと、確定的なことが分からないのが難点です。

    「ひふみ神示」で説明するところの、大神の命令で、イリシスは地球へやってきて、太陽の様子を見がてら

    「太陽が目覚めたときの下地作りとして」

    イリシスが「ひふみ神示」などを書かせたとも考えられます。

    背後の存在で、分かることは現状ではこの程度です。

    ある面で、重要な問題ですので、検討を続けますが、何かヒントになるような情報がありましたら千成さんまで連絡ください。

  • 2.
    「ひふみ神示」を筆頭にして、近代の「自動書記」について、多くの方が研究されていることが分かりました。

    そこで、私の読み方ゃ解読の方法について説明してみようと思います。

    研究されている皆さんの何かの参考になれば、幸いです。

    私が、「諸世紀」を解読する時、

    「フランス語ができなかった」

    のと

    日本訳を読んだとき、

    訳者が

    「和訳に失敗していることが明らか」

    でしたから、フランス文とは読まずに、記号の羅列として向かいました。

    これについては前に説明しました。

    これは遺跡から発見された、意味不明の初めての言語の文を解読する作業に似ています。

    ただ、「諸世紀」の場合はフランス語、ラテン語、英語、などなどの辞典は経済的な問題を除けば容易に手に入れることができます。

    しかし、一つ一つの単語を日本語に変換しなければなりませんので、解読作業の前の変換の作業に時間がかかります。

    そのために、どの予言から手をつけるかが問題でした。

    しかし、これは簡単に選択できました。

    明らかに、和訳文が意味不明になっている予言詩から開始すればよいのです。

    その意味不明な予言詩がフランス文としてではなくて、明らかに暗号文であると考えられるからです。

    また、この場合ですと、フランス文法も不必要です。

    なぜなら、

    「遺跡から発見された、意味不明の初めての言語の文」

    として取り扱っているのですから、最初からその文の文法など分かりません」

    「フランス語の文法よりもノストラダムスの文法を発見する方が優先される」

    からです。

    問題にするにしても、予言ですから、全ての予言詩は未来形で書かれているはずです。

    ですから過去形などの文法の知識も検討には“はなから”必要でないわけです。

    ただ、和訳された内容で、一章一編・二編などの予言詩は過去形です。

    そこで、誰が和訳しても同じ内容になります。

    ということはそのまま、和訳文の意味を受け取れば良いことになります。

    同時に、この予言詩集は過去形や現在の会話形式の文があるのですから、「諸世紀」は

    「予言もあるが、予言形式を使って何かを語りかけている」

    ことは容易にわかります。

    全ての皆さんはこの簡単な事実に気がつかれませんでした。

    そこでフランス文学者などを引っぱり出して「けんけんがくがく」やっていました。

    しかし、これがいかに的はずれかお分かりになると思います。

    さて、私が「ひふみ神示」を読む方法ですが、その前に、次の「ひふみ神示」を見てください。


    五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十二帖(71)

     昭和三十六年八月三日、旧六月二十二日(1961年)

    (ひふみ神示 第三十四巻)(920)

    動物霊が人間の言葉を使ふことは、

    フに落ちないと申すものがたくさんあるなれど、

    よく考へて見よ、

    例へば他人の家に入って、

    其処にある道具類をそのまま使用するのと同じ道理ぢゃ、

    判りたか、

    動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、

    その人間のもつ言葉を或る程度使いこなせるのであるぞ、

    故に日本人に感応すれば日本語、

    米人なれば英語を語るのであるぞ。

    今の偉い人民がこの神示をよむと、

    理屈に合わん無茶苦茶な文章であるから、

    下級霊の所産だと断ずるなれど、

    それは余りにも霊界の事を知らぬ霊的白痴であることを、

    自分で白状してゐるのぞ、

    気の毒ぢゃなあ、

    ましてこの神示は八通りに読めるのであるから、

    いよいよ判らん事になるぞ。

    ★ この「ひふみ神示」には二つのことを説明しています。

    一つは

    「動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば」

    「その人間のもつ言葉を或る程度使いこなせるのであるぞ」

    とあるわけですから、

    神懸かりしている存在ははるかに高級な霊と考えられます。

    動物霊ですらする、

    日本人と感応すれば日本語をするのですから、

    神懸かりしている存在はどの国の人類とでも感応して、

    容易にその言語を喋ることが分かります。

    すなわち、人類のそれぞれの言語ではなく

    別の情報伝達手段を用いていることを意味していますし、

    憑依・神懸かりした人物の言語や資質をつかって

    「自動書記」をすることを意味しています。

    ですから、例え「自動書記」した文章が異なっていても、

    同一の背後の存在が記述させたと考えられますし、

    書かれた文章は神懸かりされた本人の経歴を調べる必要があるのです。

    「ひふみ神示」の場合は岡本天明氏の神懸かりされる前の経歴と製作した文章などです。

    二つには

    「この神示は八通りに読めるのであるから」

    「いよいよ判らん事になるぞ」

    と説明しています。

    前に、カリウ−ルイさんが10通り以上に読めると聞いたと説明していましたが、

    「ひふみ神示」に具体的に「八通りに読める」とあるわけですから、

    その本の著者が「ひふみ神示」を良く読んでいないことが分かります。

    うがった見方をすれば、「ひふみ神示」の内容を解読できなかったので、

    10通り以上と説明して、

    「こけおどし、ごまかし」

    をしていることになります。

    この様に「八通りに読める」とありますが、

    特別に難しい表現をしていない平文もありますので、

    私が見た限りでは別の意味と受け取れます。

    流し読みですので確定的には云えませんが、

    「ひふみ神示」の全てを見ますと、

    「八通り内容が書かれていて、八項目に分類して読める」

    とも受け取れます。

    例えば、

    霊界関連、

    神界関連、

    地上関係、

    宇宙の構造関係、

    人類の心がけ関連、

    大岩戸開き・びっくり関連、

    新世界関連、

    ミロクと人類関係

    などです。

  • 3.
    「諸世紀」もそうでしたが、この「ひふみ神示」も千編にも渡る大作です。

    そこで、解読のヒントをもっていないと分かりません。

    まず、しなければならないのが、上記しました、

    {五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十二帖(71)}

    の様な解読に必要な情報群の収集と分析になります。

    他にもありますが読んでいくと、

    それにらの説明があちらこちらに埋め込まれていますので、

    探してみるのも一興かもしれません。

    そうすると、この神示は構造的に良くできていることがわかります。

    それと「ひふみ神示」を書かせた背後の存在は文字遊びが好きですから、

    解読する場合は文字遊びの心で向かわなければなりません。

    もしかすると、岡本天明氏の文字遊びの資質に感応しているとも考えられます。

    そうですと、岡本天明氏の資質を再調査する必要があります。

    さて、私のやり方は「ひふみ神示」の文章を読まないで、

    "見る・視る・観る”ことです。

    具体的に例題を上げてみましょう。

    下記の「ひふみ神示」を見てください。


    五十黙示録 第五巻 極めの巻 第二十帖(98)

     昭和三十六年八月五日、旧六月二十四日(1961年)

    (ひふみ神示 第三十五巻)(947)

    今の学者には今の学しか判らん、

    それでは今度の岩戸ひらきの役にはたたん、

    三千世界の岩戸ひらきであるから、

    少しでもフトマニに違ってはならんぞ。

    廻りくどいようなれど【とつぎ】の道から改めなされよ、

    出舟の港は夫婦からぢゃと申してあろう、

    ミトノマグハヒでなければ正しき秩序は生れんぞ、

    素盞鳴命が、荒ぶる神、悪神ではなく、

    人民の罪を背負って下さる救ひ主の大神であることが判らねば、

    岩戸はひらけんぞ。

    新しき世界の宮は土地(神智)(十千)であるぞ、

    住所(数真意)(すまい)であるぞ、

    永遠に在(おわ)す神は住む(澄む、数務)土地(十千)であるぞ、

    下には永遠の腕(宇丁)(うで)があるぞ。

    ★ この「ひふみ神示」を読まなくても、下記の内容が目につくはずです。

    今の学者には今の学しか判らん

    =学者の取り扱う科学のことを説明する

    “フトマニ=マニ車”を思い出せば良い。

    “マニ車”とは円筒形の回転塔のようなものである。

    表面にびっしりと文字や記号が書かれている。

    それを廻すと宇宙の真理、神の偉大さなどにあやかれる

    というような意味の装置です。

    これは寺院などにいくと、据えつけてあるところもあります。

    何かのおりに訪問して観られると良いと思います。

    チベットなどの仏教徒が小さな手に持てるワニ車を回しているのを報道で見られた方もあると思います。

    このワニ車には元素の周期律表の記述がしてあるものもあるようです。

    ついでに説明しておきますと、元素の周期律表には H,He,Oなどと元素記号が表になって書き込まれています。

    この場合、水素、ヘリュウム、酸素などですから、「スは 水素、ヘは ヘリュウム、サは 酸素」、

    {H,He,O}は{ス、ヘ、サ}と書き換えてもダブっていなければ良いわけです。

    例えば、水(H2O)はススサとなります。

    従って、そこの表に何を使うかは自由で、今は英語を使っているだけということになります。

    そうなると、ワニ車に漢字や記号で元素の周期律表を書き込み、廻せば

    「神がつくった宇宙の周期律表にあるような物理物質によってわれわれ人間は身体を作り」

    「ここに生きさせていただいております」

    「宇宙をつくった大神よ!」

    「貴方の身体から作った、これらの大真理を敬い感謝します」

    と云うような意味になります。

    ですから、フトマニは元素の周期律表の程度なくて、根本大原理のような意味になります。

    【とつぎ】の道=嫁ぎの道=雌雄の結合=

    遺伝子のDNA(オス)とRNA(メス)の結合と分離で細胞分裂が起こり、

    生命は存在している。

    ミトノマグハヒ=ヒトノマグハイ=

    人の交わり=性交

    などの雌雄の結合による生命の誕生の意味

    以上の言葉を承知しているとして、この神示を変換してみましょう。

    今の学者は現代の水準の科学の世界の知識しかもっていない。

    それでは今度の岩戸開き・びっくり箱が開くような局面にはその程度の科学水準では何の役にもたちません。

    三千世界の岩戸開きであるから、少しでも宇宙の大真理に逆らってはいけないです。

    廻りくどいようなれど、遺伝子の結合の水準から認識を改めなさい。

    生命の発展と進化は雌(メス)雄(オス)の存在からです。

    クロ−ン人間のような方法では人類は生まれないです。

    それは正しい、性交によってしか正しい秩序と世界は生まれないのです。

    素盞鳴命は荒ぶる神、悪神ではなく、人民の罪を背負って下さる救ひ主の大神であることが判らねばなりません。

    そうしないと、岩戸が開いたときに、生き延びる・救助されていなくて、日の目をみることができません。

    新しき世界の営みは神の智徳で納められるのです。

    そのような新世界は住まいになり皆さんは住まうのです。

    そこには永遠に在(おわ)す神が一緒に住む・存在している住まいであるのです。

    そして、その元のまつりごとは永遠の生命達の指図によるものです。

    大体、以上のようなことを、この神示は説明しているようです。

    この神示を眺めたとき、それらの単語・単文を観たとき、直ちに、何が書いてあるかはおおよそ見当がつくと思います。

    眺めるのはせいぜいかかっても2秒3秒でしょうから、

    興味があったら、文章としての構造の分析にかかりますが、

    「諸世紀」の予言詩と異なり、和文ですから、

    時間がかかっても10秒と必要がないでしょう。

    従って、この神示程度の内容ですと、

    10秒程度で何が云いたいのか、

    おおよそが分かることになります。

    それでも、「ひふみ神示」は千編に何々とする大作ですから、

    流し読みをしても、

    「10秒*千編=10000秒=約三時間程度」

    は最低必要になります。

    一気にやると、千成さんではないですが、さすがに目がショボショボしてしまいます。

    途中で、お休みを入れましたのでずいぶんと時間がかかりました。

    −*−*−続く−*−*−


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